戦争と差別のない世界を創るにはWANT TO文化を広げていく必要がある。
しかし現実社会は色々なWANT TOがある。二人以上の人が集まれば、WANT TOとWANT TOが衝突してしまうこともある。
一切れのピザを食べたい場合、相手も食べたければ衝突する。ピザなら分けることができるが、2人の男の子が1人の女の子を取り合う場合などは、大抵はどちらか一人しか希望はかなえられない。
世界には争いの火種は山のように存在しているので、火種が燃え盛らないように、考え、対話し、解決していかなければならない。
そのために最も重要な考え方がアプリオリ性の完全否定である。
アプリオリとは先験的などと訳される。演繹的証明の必要のない自明的な事柄。
わかりやすく言うと一神教における神の存在。だから神の絶対性などがアプリオリ性にあたる。
正義感の強い二人の人がいたとする。その正義の価値観が違うとする。二人はその正義の主張のために争いを始めるだろう。
1人がどんな場合でも絶対に人を殺してはいけないことが正義だったとする。1人は凶悪で残忍な殺人者に限り、殺すことは認めることが正義だったとする。お互いが正義の主張だからこそ折り合いをつけることが難しくなるだろう。
宗教はその教義の絶対性つまりはアプリオリ性を信じていることで成り立っている。宗教は複数あり、アプリオリ的に宗教を信じている人も複数いることになる。
そのアプリオリ的な信仰がぶつかり合うと止めることが出来ない究極の争いが生じる。それが戦争だ。
全ての戦争は宗教戦争といえるほど、戦争を引き起こすのはこの絶対的アプリオリ性の衝突である。
だからこそ戦争をなくすためには、アプリオリ性を考えていく必要がある。
仏教の教祖、釈迦が説いた思想は縁起の思想であり、アプリオリ性の完全否定といわれる。
アプリオリ性の完全否定とはこの世に絶対的な価値は存在しないという思想。
神がいたとしても神にもお父さんとお母さんがいる。そのお父さんとお母さんにもお父さんとお母さんがおり、永遠に終着点はないという思想。
ペットボトルがあっても、それは石油であり、分子であり、原子と分子であり、素粒子であり、量子であり、ひもの振動でありと物理的に見ていっても最終的に到達することができない。(物理学の帰結とも一致する)
(数学の世界でも不完全性定理によりこの世に絶対なものがないと証明されている。)
このアプリオリ性の完全否定の釈迦の縁起の思想を持つと先の人を殺すことは是か非かの問いも宗教の争いにも、解決の光を見出すことが出来るのではないかということだ。
この教えを聞いてから、人との意見の食い違いも自分が絶対的に正しいと思わないようになった。99パーセント正しいと思うことは多いが100パーセントではないと思うことができるようになった。
この1パーセントをしっかりと大切にすることが出来れば、争いはあっても戦争にはならないのではないか。
唯一絶対に正しいことがあるという思想の否定。
この世に唯一絶対なことなどないという思想。
戦争と差別のない世界を実現するためには必ず必要な思想だと思うのでアプリオリ性の完全否定はこれからも伝えていきたい。