
私たちがお金を稼いでいる場をお金ピラミッド空間と呼んできた。今回は違う表現で同じ場を見ていく。
お金、地位、権力を目指す人々が集まり、構成する空間をお金ピラミッド空間と呼んだが、これは資本主義社会のことだ。
資本主義社会は競争社会。人々が競争をすることで社会が発展し、よくなると信じる(?)社会。
公共工事の入札にはよく携わっているが、指名競争入札や一般競争入札といった名目で通知が来る。
指名競争入札はあらかじめ発注者が選んだ業者の中で行われる入札であり、一般競争入札とは発注者が定めた資格を有していれば、参加することが出来る入札である。
いずれにしても、参加者が工事金額を入札し、一番の最低金額、もしくは最低制限価格を下回らない範囲での最低金額を入札した業者が受注できる仕組みであり、競争することが求められている。
競争することが最適であり、競争することこそが公平であると信じる仕組みのようだが、蓋をあけてみると全く公平にはならない。
競争すると勝者と敗者に分かれる。勝者は受注を得ると金銭的なメリットを得る。何回かこれを繰り返していくと金銭的メリットは設備投資や福利厚生の充実など会社の基盤を強くすることに使われる。すると勝者はそのメリットにより強者となっていき強者と弱者の溝はどんどんと広がっていく。
そこで公平を期すために業者同士で順番に受注しようとしてもそれを談合と呼び法的に禁止されている。
つまりは強者はますます強者となり、弱者はますます弱者となるのが資本主義という名の競争社会である。
この競争社会を受け入れて、その競争を勝ち残っていくことが人生であると思っている人が多いがそれで本当に個人個人は幸せになれるだろうか。
スポーツなどはそこに順位がつくので最たる例だ。先日のWBCでも日本が優勝し選手とともに誇らしい気持ちを共有した人が多いとは思うが優勝チーム以外全てのチームが敗者であり、優勝チーム以外の全ての選手が悔しい思いをしている。構造的にトップだけが喜び、トップ以外は悔しがる仕組みなのに世界中が熱狂し、とんでもない低い確率のトップになるために子供から大人までしのぎを削る。
そしてこのピラミッドを少しでも上にあがることこそが人生の目標であると信じ生きている。
私も子供のころからサッカーをしてきたので競争意識はマインドの深くに根付いていることを感じる。ちなみに私はサッカーが大好きで競争というより、楽しんでやっていた方だと思うがそれでも、レギュラーに選ばれたらうれしかったし、選抜に選ばれたらうれしかったし、チームが勝ち進んでいくとうれしかった。
しかし、コーチングを学んでからは資本主義という競争社会に疑問を持つようになった。
事実サッカーも子供のころと40歳を超えてからが一番楽しかったと思う。
楽しむという観点からは大人になるにつれ競争原理に従うようになり、サッカーが楽しいから勝つことが楽しいに変わってくる。
勝ち続けることができる選手はプロに行き、お金を稼ぐことが出来るようになる。
皆それにあこがれるようになり、競争に勝ち残ることこそが自分の夢であると思うようになる。
競争は人々を幸せにするのか。
ピラミッドのように頂点にいる人だけが幸せになり。それ以外は全て敗者の世界。
それは頂点になればよいが、全体としては幸せな社会とは呼べないと苫米地博士に教えてもらった。
今ではそう思う。
そして今では100人が99人の幸せを願う世界の方がよいと思う。
そんな世界に変えていきたい。
お金ピラミッド空間の中に閉じ込められた人はそのピラミッドで少しでも上に行くために人生の選択をする。しかし、本当に生きたい人生はその空間の外にあるかもしれない。そう感じている人は多くても、抜け出す行動を起こす人はまだまだ少ない。
ではなぜ私たちは抜け出さないのか。抜け出せないのか。
コーチングではスコトーマ(心理的盲点)の原理は必ず知ってもらう。
先生「目を閉じてみてください。あなたの慣れ親しんだその部屋の中にある赤いものをできるだけ多く、あげてみてください。」
生徒「うーん、1個・・・2個・・・かな?」
先生「では目を開けて赤いものを探してください。」
生徒「あーあれも、これも、またあれも。おーこんなに多くあるのか赤いものは!!」
先生「普段目の前にあっても重要でないものは見えないように脳は働くのですよ」
といった具合の実験をして知ってもらったりするスコトーマ。
赤が見えた状態をロックオンと呼び見えていない状態をロックアウトと呼ぶ
例えばお金を稼ぐことが最も大切であると信じている人はお金を稼ぐこと以外の大切なことが見えてなくなる。またはお金を貯めることが最も大切であると信じている人はお金を使う喜びが見えなくなっている。
人間関係でいえば、いったん好きになってしまうと嫌なところは見えなくなり、いいとこばかりが飛び込んでくる。逆にいったん嫌いになってしまうとどんないいところがあっても見えなくなってしまうといったもの。
例をあげればきりがないほど私たちはスコトーマだらけの世界を生きている。
このお金ピラミッド空間にはその頂点がある。そこに確かに特定の人が存在している。その特定の人と周辺の人たちの利益のために戦争と差別が引き起こされているのだが、このお金ピラミッド空間の中でその支配構造を受け入れている状態であれば、その外の世界がスコトーマとなって見えなくなる。戦争と差別のない世界も、個人個人が真に豊かな人生をおくる世界も見えなくなっている可能性があるのだ。
ここで最も重要で最も伝えたいことがある。
このお金ピラミッド空間以外を見えなくさせている力だ。
これが洗脳
このピラミッド空間だけを見させるために、私たちのマインドはありとあらゆる仕掛けを無防備に受けてしまっている。気づかずうちに仕掛けられている。
例をあげる。
テレビやインターネットコマーシャル
コマーシャルを見ていると宣伝している商品を買えば自分の悩みが解決されるような気になったことが誰でも一度はあるはずだ。そしてその商品を購入してから「なんだ、全然だめじゃん」とがっかりしたことも一度や二度では済まないかもしれない。車や家が欲しいと思ったきっかけもコマーシャルがきっかけかもしれない。
世間の常識
結婚して子供が出来ると多くの人が家を購入する。自らの生命時間を使った労働と引き換えにとんでもなく大きな買い物をする理由として、友達も買っているからといって納得したりする。みんながやっていることだから、常識だからといって、行動を決めていることはないだろうか。
または本当はやりたいと思っていたり、言いたいと思っていても、空気を読んでその衝動を抑え込んだりしたことはないだろうか。
マインドの機能にスコトーマがある。そのスコトーマを利用して私たちはありとあらゆるところで洗脳をうけている。お金と権力の支配構造の中で生きている私たちはその支配構造を維持するためのものだけが見えており個人個人の真の幸せが見えなくなってはいないだろうかということが最も重要だと思い伝えたいことなのだ。
戦争と差別をなくすためには一人一人が覚醒しなければならないと思っている。
覚醒とは幸せに生きるということだ。自分のやりたいことをやりたいだけやる。
自分の好きな人と好きなだけ楽しむ。そして夢を見て、叶えていくことだ。
お金ピラミッド空間の中で夢を見て叶えるのもいいのだが、それは支配構造を維持したい人たちの夢であり、私たちの本当の夢ではないのではないか。
戦争と差別をなくすとは一人一人が洗脳から解放され、自由に自分の人生を選択することができ、満たされている状態であるからこそ利他的なゴールを持つことが出来る。
私たちは何者にも依らない自由な心で他者の利益を最優先にすることを喜びとする生き物である。