こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
今回は情報空間と抽象度について考えてみようと思う。
目の前に何かがある。私であれば、パソコンとマウスとペンとマグカップとヘッドホンとヘッドホンアンプとティッシュ、たくさんあるがこの辺にしておこう。
あなたの前にも何かあると思う。
その何かは物理的なものとして認識すれば、ただのもの。
だけど、その物を見てそこから宇宙を広げていけば、ただのものが情報空間への入り口となる。物理的な実体のあるものは情報空間の投影とされている。それを逆向きに見てみるのだ。
情報空間のあらゆる縁起の帰結としてこの場所に現れた、この物に対して、そこから情報宇宙をのぞいてみよう。
見えただろうか。
情報空間、情報宇宙が。
私にはすごく見える。例えば、マグカップ。これは陶器だから、原材料は土と水だろうか。機械で作られたような形だ。手作りではこの曲線はだせないはずだ。だから機械でつくったのだろう。機械で作られたということは個人の作品ではないだろう。会社として利益をあげるためのひとつの生産物だろうか。その会社は創業何年でどのような会議が行われているのだろう。何人スタッフがいるのだろう。カップの周りに温かみのある絵がそこに描かれている。これは手書きのようだ。ということは工場で生産されて出来上がった白いマグカップに一人の絵描きが一つづつ絵を書いていったのか。
この辺で止めておくが、一度あなたも目の前にあるものに対して思いを巡らせてみてほしい。
そして思いを巡らすという行為により、情報空間にアクセスしたことになる。私の場合はマグカップという物理的なものを通して、情報空間を見た。
そしてその情報空間の大きさと言えばよいか、高さと言えばよいか、スケールと言えばよいか、とにかく視点を高くすることにより見える範囲のことが抽象度という。
視点が高ければ高いほど見える範囲は広がる。
すなわち、抽象度が高ければ情報空間にアクセスできる容量も大きくなるということなのだ。
一つのマグカップから見える情報空間は見る側の抽象度レベルにより範囲が限定される。
そして見えない部分がスコトーマと言われるものだ。
スコトーマを外してゴールの達成方法が見えてくるという言い方をするが、抽象度が上がらなければ実は見えない。
この関係性は双方向性である。
例えば、ゴール設定をして、アファメーションをするという行為は抽象度を上げる行為でもある。アファメーションをすると見える世界が変わり、変わった世界をゲシュタルトとして認識するということ自体、抽象度を上げる行為と同じなのだ。
ゴールがあるから、抽象度が上がる。抽象度が上がるからスコトーマが外れてやり方は見える。
書いていて思うが、やはりゴールの重要性は半端なく高い。そう思わされる。
どうだろうか。