苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志のブログ
今日は子供に対してのコーチングに触れたい。
コーチはクライアントのゴールには関わらない。
これはコーチングにおいてとても重要なルールだ。
ゴール設定をするのはクライアント自身であり、コーチがゴールはこんなのがいいわよ。そんなゴールはいまいちね。なんて絶対言ってはいけないし、思ってもいけない。
コーチとクライアントという関係性においては誰がきいても当たり前と思うようなことが、子供に対しての親や指導者はできていないケースが多い。
子供に対して、そんなゴールよりこっちのゴールがいいんじゃないのなんて言ってしまったりする。しかもあなたのために言ってあげているのよなんて思っているからからたちが悪い。
子供は未熟である。当然、大人のように経験がないのだからそれは仕方がない。その中で子供なりに思考し、思索し成長しようともがいているわけだ。そんなときにこっちは危ないからこちらの道に進みなさい。ということを教育と思っているようなら大間違いだし、親や指導者が考え直さなければならない。それは依存関係を作り上げることにしかならない。
子供にとって大事なことは自分で考える力を養うことであり、そのために必要なことは自分でゴールを決めてそのゴールの過程で起こることを自分が解決していくことなんだ。
では親や指導者は何ができるのか?
それはコーチングのコーチの役割と同じである。子供が僕が、私がこんな難しい問題を解決できるだろうかといった不安になった時に君ならできるよと信じてあげることだ。
信じていないから手を差し伸べてしまうのだろう。子供の可能性を信じてあげていない状態でこっちの道がいいわよ。と言わないほうがいいのではないだろうか。
よく子供は皆、天才!
子供には無限の可能性がある!
などと言われる。
その通りだと思うが、子供にとってごくごく身近にいる親や指導者は本当に心からそう思っているだろうか。その目に前にいる子供に対して無限の可能性があると信じてあげることができているだろうか。
コーチングにおいてのコーチはクライアントのゴールに関わらない。
このことを子供に置き換えていうと親や指導者は子供の夢に干渉しないというこである。できることがあるとすれば、その夢を君なら叶えることができるよ。と思ってあげること。そしてその思いを込めて言ってあげることだ。
まずはこのことを肝に銘じてほしい。
そしてそれができたら次のステップに行ってもらいたい。
君ならもっと大きな夢を叶えることができるよとゴールを引き上げてあげることだ。
これがコーチングであり、親や指導者はこのような指導をしていくことこそが子供の無限の可能性を引き出すことなのである。
もちろん、危なっかしくて見ていられない。介入せずにはいてもたってもいられない。そんなことをしたらこっちの身が擦り切れる。夜も寝れない。と思う気持ちが出てくるかもしれない。
しかし、介入は依存を生み、依存状態は子供の可能性を閉じ込める。
大人も葛藤しながら共に成長していくものだと思う。
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どうすればゴールは達成されるのか?
我々は認識するということにおいて、同時に二つのゲシュタルトを維持できない!というところから入ってみよう。
これはどういうことかというと現状の私とゴールを達成する私は同時に存在できないということだ。
現状の私にとってみればゴールを達成できていない。理由はゴールの達成の仕方がわからないからである。わかっていれば現状はゴールを達成している状態になっているはずである。
現状の私がゴールの達成方法がわからないのは現状の私の場にいているからだ。
その場からはゴールの達成方法が見えないのである。これがスコトーマの論理だ。
ではどうすれば見えるようになるのか?
答えはゴールを達成した場に行くのである。
ゴールを達成した場に行けばゴールの達成方法が見えてくるというカラクリだ。
しかし、ここで問題が出てくる。冒頭で述べたゲシュタルトは一つしか維持できないという脳の認識作用により、現状とゴールのどちらかが選ばれなければいけない。そしてゴールを達成した場のゲシュタルトを選択させなければならない。
ここでもうひとつキーワードを知っておく必要がある。どちらのゲシュタルトが選ばれるかは臨場感が強い方ということだ。
つまり現状の臨場感よりもゴールの臨場感の方を強める必要があるのである。
これはちょっとやっかいだ。
なぜなら現状とは我々にとって臨場感マックスな状態といってもよいだろう。目の前に広がっている世界が現状なのだから。
ここを打破することが超重要事項なんだ。
目の前に広がっている現状と思われる世界よりも強い臨場感で持ってゴールをイメージする。
現状よりもゴール達成した世界こそが当たり前と思える状態を脳内で作り上げる!!
するとまずはスコトーマが外れてゴールの達成方法が見えてくる。
それはまるでどこか遠い場所に置き去りにされても必ず自分の家にまで戻ってこれるような現象と同じだ。
ここでいう自分の家にあたるものが現状の私なのか、ゴールの私なのかが全てを決める。
仮に自分の家にあたるものが現状の私であった場合は現状の私の元に帰ってきてしまう。
だからこそゴールの私が当たり前になるまで強いイメージを作り上げる必要があるのだ。
その方法は色々ある。
セルフコーチングにおいて代表的なのはアファメーションであり、パーソナルコーチングではセッションがそれにあたる。
セルフコーチングの話はこれまでもブログで触れてきているのでそちらに譲るとして、少しパーソナルコーチングを紹介しておこう。
パーソナルコーチングのセッションの空間とは強制的にゴールの臨場感に導く。自分ではうまくできなくても、コーチはゴールの臨場感がガンガンに上がっていくようにしていく。
もしゴールの臨場感があがらず、現状の臨場感があがるようならそれはコーチングとは言わない。そのコーチはやめた方がよいと思う。
セルフコーチングはどうしても変わりたいのも自分であれば変わりたくないのも自分なのでそのジレンマの分だけうまくいかなかったり、時間がかかったりする。
それに比べるとパーソナルコーチングはよい意味で無意識に強制的に変わることを促していくようにするために効果ははるかに高い。
どちらにしろコーチング抜きにして変わることは難しいのである。
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ゴールを下げない大切さ。
人は年齢と共に、ゴールを追いかけることをやめたり、ゴールを下げたりする。
この場合の年齢はたとえ、20歳だとしても、10歳のころにかかげた夢をあきらめたりすることを含んでいる。老齢だからという意味ではなく、若くしても月日が経つとなんとなくゴールをあきらめる傾向があるように思う。
だからこそコーチングは重要なのだと思う。
人は自然にまかせていると、なんとなく生きているとゴールをあきらめたり、ゴールを下げたりしてしまう。
これは生体として安定したいという欲求に負けてしまうからだろう。ほっときゃ人はコンフォートゾーンの中で安住しようとする生き物なのだ。
ごくごく簡単にいうとこれが多くの人がゴールを達成できない理由の最大の理由であると思う。
コーチングが重要であるというのはコーチングを受ければゴールは絶対に下げさせてはくれないし、ましてやどんどん上げていくように促される。
それにより、ゴールは達成されてしまうし、何事もない日常を生きる人生からアドベンチャーのようなワクワクに満ちた人生を歩むことができるようになる。
現状で安住するか
ゴールに向かって苦しいかもしれないがワクワクの人生を選ぶか
これはゴールを下げないことがとても重要なのだ。
もちろんゴールがない場合であればゴールを持つことが先になるのだがほとんどの人は子供の頃には何らかのゴールを持っていたはずであり、生まれて全くゴールを持ったことがないという人は逆に少ないと思うので、そういった意味ではやはり、ゴールを下げない。どんどんと上げていくことを強調してよいだろう。
生きていくと色々なことが起こる。当たり前だ。そんな人生の様々なケースにおいてこのことを思い出してほしい。何があってもゴールは下げない。上げる。
下げる言い訳などはいくらでもあるだろう。それでも下げない。絶対下げない。
極端に言えばゴールが達成されるか否かはこれだけだ。
ゴールは諦めない限りすごい高い確率で達成される。時間の問題はあるかもしれないがあきらめなければ達成されるものだと理解してほしい。
変わることはよい。ゴールはどんどんと変わっていってもよいのだが、上げていく方に変えていくようにしよう。
ゴールは絶対下げない。
今日はこれが言いたかったことだ。
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私たちは言語空間に住んでいる。
このブログでも情報空間と物理空間とに大別して色々と説明してきているが、言語とはどのような位置づけだと考えればよいだのだろうか。
もちろん言語は物理ではない。人の脳内での情報処理の中で使われたり、人と人とのコミュニケーションにおいて使われたりするので情報空間に属すことは当然のことだ。
言語の宇宙を言語空間と名付けたときに、情報空間の中の言語の世界が生まれる。
その言語空間の中に我々は生きている。
どういうことかというと、例えば法律とは言語で規定されている。赤信号で止まるのは法律で止まるように定められているからだ。そして裁判も言語のやり取りで判決がくだる。人と人との間の喧嘩も言語を使う。知識の伝授、すなわち教育も言語を使って伝達する。
当たり前と言えばそれまでだが、我々は言語空間に生きているのだ。
そして驚くべきことに、その言語の制約は西洋社会から生まれている。
我々は何気なく言語を使うが、無意識の領域まで深く、深く言語により束縛されている。しかしそれに気づいていない。
もちろん、しつけや教育は言語を通して行われてきているので当然である。
西洋から生まれた契約の概念により、この世のあらゆるものが生み出されており、言語を通して我々東洋の日本人にまで深くある思想が浸透している。
コーチングはWANT TOで生きること、自由で生きることの提案をするが、思いの他言語により束縛されていることに気づかず、悩む人が多い。
色々な束縛を外していかなければならないのだが、中でも無意識の中に深く浸透している言語による束縛にも目を向けてみよう。
なぜ赤信号で止まらなければならないのか。
なぜ目上の人がえらいのか。
なぜサラリーマンはスーツを着なければならないのか。
なぜ結婚するのに婚姻届が必要なのか。
などなどこの世の疑問は掃いて捨てるほどあるが、これら全て言語で表現されるものだ。
言語宇宙を徹底的に見ていくことにより、スコトーマはどんどんと外れていくことになる。
なのでおすすめしたい。
しかし、徹底的に知識を入れていく以外に道はないので最終的に勉強しようという帰結になってしまう。子供も大人も勉強をしないといけない理由である。
苫米地式コーチ 山本敦志です。
4月16日に「悩みを幸せに変える方法」というテーマで芦屋市内においてセミナーを開催し、無事終了しました。
25名の定員でしたが、参加者は定員に達し、会場満員の状態となりました。参加した皆様ありがとうございました。コーチングへの興味は芦屋の地でも拡大していることを身に染みて感じる一日となりました。
このセミナーで私自身とスタッフを含めた会社としての反省点とその後のマインドの扱い方を少し考えてみようと思います。
会場が満員となったところまではよかったのですが、私も定員オーバーのセミナーははじめてのことであり、会場の選択等、想定していたものとは違っていました。そのせいもあってか、場の緊張状態を解くことにおいてはうまくいかなかったと実感しています。
コーチングにおいてリラックスすることはとても重要なことであり、リラックスしているからこそ脳も活性化し、吸収できるものも多くなります。
この場合、私のうまくできなかったことになります。そしてそれは私の気づきです。しかし、それでエフィカシーをさげてはいけないので、このような場合私は「私らしくない」「我々らしくない」と考えます。
セミナーでもお話しした、時間は過去から未来に流れているのではなく、未来から過去に流れているということ。過去の失敗やうまくいかなかったことはどんどんと過去に流れていく。大事なのは未来のゴールに何が欲しいのか。どうなりたいのかを定めて、その未来のゴールだけにロックオンしていくことです。
だから、私は「次はこうしていこう」という強いイメージを持っています。場をリラックスさせることを臨場感を持ってイメージします。
今回のセミナーから次の勉強会に多数の参加者が来てくれるようですので。次の機会は共にリラックスした状態で、我々の中に秘めた可能性をどんどん引き出していきましょう。
過去の失敗やうまくできなかったことは次へのゴールを生み出し、ゴールの臨場感をより鮮明にしていきます。だからこそなりたい自分への挑戦を恐れず、どんどんとやっていきましょう。
この度はセミナーへの多数のご参加誠にありがとうございました。
そして第2弾勉強会を皆様と共におこなうことをこころより楽しみにしております。
苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
4月16日(土)に「悩みを幸せに変える方法」というテーマでセミナー開催します。
コーチング理論の基礎的な部分をわかりやすく説明するセミナーです。
コーチングに興味をお持ちの方や、コーチングを一度知ってみたいという方にはとても良い機会になると思います。
是非お越しください。
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人生において成功するか否かは選択による。
人生観というものがあるなら、それは大別すると二つに分かれる。未来志向か、原因論か。
原因論から考えてみよう。
現在のあなたの状態が自分が望んでいる人生ではないと思っているとしよう。そしてその理由を考えたときに原因論の思考によれば、「私がこのような人生になったのは過去のあの出来事が原因である。過去を変えることはできないのでこの人生を受け入れるしかない。そして現在のこの状態は過去の結果であるから変えることができない。だから未来も希望をもつことができないのだ。」
このような思考体系ができあがる。
しかし、少し考えてみよう。上記の人と同じ境遇で生まれた人の中で成功者が出るのはなぜだろう?世の中には過酷な境遇に生まれながらも大成功をおさめた偉人は多数存在する。
それはその人たちの思考体系が未来志向であったからに他ならない。
未来志向の思考をすれば過去など問題にはならない。未来志向の人にとってはその欲しい未来にとって重要ではない過去は存在もしていないだろう。これはスコトーマの原理である。しっかりと未来を見据え、その未来が必ず達成されると確信している人たちにはその未来にとって重要であることしか見えないのだ。だからこそチャンスをしっかりと捉えることができるのだ成功の階段を上っていくことができる。
原因論の人たちは成功する人はもともと成功する人だったんだ。一般人とはもともとから違うんだと解釈しがちである。
しかし、違う
それは過去を引きずって生きていく選択をしたか、未来志向で生きる選択をしたかの単なるその人の選択の問題である。
人はだれでも、今すぐにでも変わることができる。
過去に何があったかなどどうでもよい。
未来に何が欲しいか。
その未来が達成されると確信できる人だけがその未来を手繰り寄せることができる。
過去をみるか
未来をみるか
選択の問題である。
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あなたはスケジュール帳を持っていますか?
やりたいことを考えてみて、みつかった。今度あれをやろう!と思い友達と約束をする。そしてスケジュール帳にやりたかったことが記載される。
そして当日、朝起きてみるとなんだか気乗りがしない。でも、自分がやりたかったことだし、約束もしちゃったし、行かないといけないよね。なんて考える時はないですか?
このシチュエーションはWant toなのかHave toなのか?
答えはHave toです。
この場合、スケジュールを立てたことがHave toの原因だと思う。
もともとはWant toだったとしても、人は刻一刻と変わっている。やりたいことだって刻一刻と変わる。
だから、大事なのはその時その時を大事にすることだ。今何がしたいのか。そして今したいことをどんどんやっていく。やりたいことを先延ばしにしない。
そしてなるべくはスケジュールはたてない。
理由はもちろんスケジュールをたてるともともとやりたかったこともHave toに変わるからだ。
仕事や、友人関係など、対人関係において100パーセントは難しい。しかし、スケジュールが少ない中でその時、その時、気が向いたこととしていくことをしていく。
Want toで生きていくにはとても大事なことなので少しでも心がけてほしい。
人の認知とは必ずスコトーマが生まれる。
認識することとスコトーマとは同じといってもよい。認識する対象がある。そのものを認識したらそれ以外のものがスコトーマとなる。認識すると同時にスコトーマができる。そして見えているものが価値観をつくりだす。見えているものこそが価値になる。それがブリーフシステムである。
我々はブリーフシステムどおりに認識する。ブリーフシステムこそが私だとさえ思っている。しかし、このブリーフシステム、実はほぼ100パーセント、自分ではない第3者から刷り込まれたものなのだ。思いかえしてみてほしい。自分の価値観と思っているものの出所を。
ほぼ100パーセント親や教師や世間に刷り込まれている。親や教師や世間の価値を自分で受け入れたときにブリーフができあがる。もう少し詳しくいうとそこに情動記憶がのってブリーフができあがる。
ここから脱出したい。
親や教師や世間から刷り込まれたブリーフを捨てて、本当に自分が心から望むブリーフを手に入れたい。
それにはゴール設定である。
現状では達成不可能なゴールを設定することにより、方法論としてはそれだけが我々を本当に望むブリーフに導いてくれる。
もし、このゴール設定をしなければ現状維持というゴールが設定される。
ゴールは設定しなければ、ないと思うかもしれないがそうではない。ゴールを設定しなければ現状維持というゴールが設定され、現状が続いた未来へと導く。
目の前にある世界は現状である。そして目の前に見えているものの未来が達成されてしまう。具体的にいうと、会社の平社員であれば係長、課長、部長の姿を認識している。そしてそのうちのどれかの未来を選び取って達成してしまう。係長になり、課長になり、部長になっていくという未来は実はすでにあなたの目の前にあり、ゴール設定しなければ、今現在見ている世界が未来に達成されてしまうということである。
もちろんそれで私は満足という人もいるかもしれない。
しかし、冒頭で述べた、ブリーフシステム。
この未来は第3者から刷り込まれたブリーフの世界だということだ。あなたが選んだと思っているかも知れないが第3者に刷り込まれたブリーフが選び出した未来であってこころからあなたが望んだ未来ではないのではないか。
だからこそ現状の外にゴール設定をすること、若しくはそのゴールを考える、思索するということがとても重要なことなのである。
我々は行きたい人生を生きることができる。
しかし、それは自らのゴール設定という行為抜きにしては達成されることはない。
コーチングという言葉が結構、普及してきたような気がする。
しかし、まだまだ、コーチングという本当の意味が理解されているようには思わない。
ルータイスと苫米地英人博士が作り上げてきたコーチングという本当の意味を考えてみたいと思う。
世の中には色々な職業がある。しかし中でもコーチという職業は稀有な職業だと思う。
金銭のやり取りがあるような職業は、ふつう自分が欲しいものを手に入れるために何か人に依頼することによって成立する。
たとえば、医者なら病気を治してほしいという依頼にこたえる。弁護士なら紛争を解決してほしいという依頼にこたえる。工務店は家を作ってほしいという依頼に答える。学校や塾の先生は知識を教えてほしいという依頼にこたえる。
ほとんどの職業はクライアントの目的が先にあってそれを叶えることが仕事である。
ではコーチングという職業はどうだろうか。
コーチングの目的はクライアントのゴールを達成してもらうこととゴールを設定することが仕事となる。
何が違うのか?
コーチング以外の仕事のほとんどはその人に代わって代理で仕事をしてくれる。
しかし、コーチングはあくまでもクライアント自身が変革するためだ。変わったクライアントがゴールを達成する。自分自身が行動をする側である。先ほど例にあげた職業は行動するのは相手側だからこの点で大きく異なるといえるだろう。
行動するのがクライアントなら一体コーチは何をするのか?
コーチはクライアント自身でゴールを達成しようとしたときにおこる障害を取り除く。人は自分自身の無意識の行動を全てコントロールはできていない。恐らく相当できていない。ゴールを達成しようとしたときにおこっている無意識の領域の世界を認識できていない。コーチはクライアント自身では気づいていないゴール達成への行動を阻害しているものを取り除く。スコトーマとなっているものを見つけ出し、見せてあげる。
コーチングとはそういうものであり、コーチの仕事とはそういうことである。
コーチングとはクライアント自身がゴール達成への行動するうえで、一人ではできないことのお手伝いという仕事である。だからゴール達成という仕事をするのはあくまでもクライアント自身。しかし、よくよく考えると当たり前だ。ゴールや夢は自分自身のものであり、自分自身で叶えるから意味のあるものである。
ただ、今までは科学的に、また職業として、そのお手伝いをするという職業は存在していなかった。その役割を担っていたのは親や教師や友人であったかもしれない。ただ、親や教師や友人は、コーチングのトレーニングを受けて親や教師や友人になったわけではないので、ゴール達成のお手伝いができるわけがなく、彼ら自身の思想を刷り込むことになり、かえってドリームキラーとなっていた可能性が高いと思う。子供に関して言えば、その影響で夢なんてかなうものではないという一般的な思想ができあがっていたようにも思う。
しかし、現在はコーチングはルータイスと苫米地英人により職業として生み出され、多くの人がコーチングという言葉は少なくとも知っているような時代になった。その背景には心理学から認知科学までの心を扱う学問がかなり、発展を遂げたという事実があるのは確かである。
私はこのことをとても画期的なことだと思っている。
自分自身の人生は思い通りに描くことができるという発想が人々のこころに根差し始めているのだから。
まだまだ誤ったコーチング理論や偽物コーチがあちこちにいる。しかしそれもコーチングの広まりがあってのことなので良い時代の到来の兆しなのかもしれない。
私や私のコーチ仲間はルータイスと苫米地英人博士から直接本当のコーチングを伝授された数少ないコーチであるから、このことをきちんと自覚して多くの人に本当のコーチングを知ってもらうために活動していこうと、書きながら強く思った。