今回はバイオパワーについて。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーがその自著「監獄の誕生―監視と処罰」の中でバイオパワーという概念を提唱した。日本語に訳すと生権力となる。
バイオパワーとは「監視下における自己規制をさせる力」ようは「誰かにかんしされているという暗黙のプレッシャーがあると、実際には監視されていなくても、監視者の期待するように行動させてしまう力」といえる。
フーコーはバイオパワーを説明するうえでパノプティコンを持ち出して説明している。
パノプティコンとは刑務所の設計構想であり「全展望監視システム」のことである。
監視塔を中心にしてその周りを360度円形にぐるりと囚人の部屋が配置されている。囚人の部屋から監視塔の看守は逆行により見ることができないように設計されており、逆に看守はいつでも囚人を監視できるようになっている。
パノプティコンの狙いは看守が360度見張る効果よりも囚人が見られているかも知れないという心理効果を与えて逃亡を防ぐということだったというのだ。
そして、そのバイオパワーは監獄だけではなく、集団や種というものを対象にする権力技術として使われるようになっていった。
そして権力側が用意した思想や規制に従って生きるように国民を仕向けていくということにつながっていく。
今の社会もこのバイオパワーがガンガンに働いているといえるだろう。我々は常に誰かに見られているかもしれないという心理を持ちながら、決断、行動しているのだ。
バイオパワーは例えば、夜中にゴミを出していたら近所のおばさんに怒られた。なんて場合にも同じように働いている。
次に夜中にゴミを出そうとしたら、あのおばさんがまた見ているかもしれない。と思いやっぱりやめておこうという判断をするような場合だ。
本当に見ているかどうかではない。本人が見られているかもしれないという心理が働くことによって行動が決まってしまうということである。
もちろんそのような状態では自由な意思決定をすることが困難だ。というより当の本人も、自分のやりたいことをやることよりも、社会が期待する思想、規制に従って生きる方が心地が良いと思っているので、自由な意思決定をしているつもりでもそれは権力者の思うがままの意思決定だったりするかもしれないのだ。
無意識の領域までバイオパワーは深く入り込んでいる。
そして睡眠中の夢の中で何かに追われているような感じがして目が覚める。などという体験がをしたことがないだろうか。
しかし、そんなことも忘れて、また権力者の期待に応えるかのように、誰かに見られているかもしれないと思い、正しくあらねば、規制に従わねば、と無意識の判断を繰り返しながら生きている。
本当にやりたいことを見つけ、真の自由を手に入れるためにはこのバイオパワーに気づき、超えていく必要がある。
バイオパワーを超えて覚醒することの重要性はこの現代社会でも変わらないと思う。