サッカー日本代表オリンピック予選がカタールでおこなわれている。
北朝鮮戦を見ての苫米地式コーチの観点からの感想を述べておこう。
率直な感想はどちらが実力的に優勢か、どちらに勢いがあるか、どちらの戦術が功を奏したかなど、よくわからない試合だった。
恐らく、お互いに初戦ということもあり、どちらも相当緊張していたのだろう。緊張の要因はやはり、国の威信を背負っているということによると思う。このブログでも何度も言ってきたのだが、リラックス状態でなければ本来の能力は発揮できない。とはいうものの国の威信を背負って戦うときに、しかも初戦で緊張するなというのもこれまた難しい。
しかも早い時間帯で、得点がはいったこともどちらのチームにとっても落ち着かない展開の要因であったようにも思う。
そんな中で、一人目に留まった選手がいた。10番の中島選手だ。私はマインドのコーチとして、コーチング的な見方になる。だからコンディションやフィジカルや戦術などの視点からではなく、マインド、メンタル、オーラなどの視点から見ている。その点で中島選手は一番エフィカシーを高く維持していたように感じた。
もちろん10番を背負っているのだからエースとして当然の働きなのかもしれないが、エースがエフィカシーを高く維持することができないとチーム全体がそれに引っ張られて弱くなってしまう。その点で緊張状態の中でもなんとか勝ちに結びついたのは少なからずエースの存在感があったからではないだろうか?私はそんな風に感じた。
しかし、当の本人のコメントは「アジアなので(勝てた)。五輪の初戦でこんなプレーをしたら大敗する」
さすがの高いエフィカシーだ。
自分は自分たちはもっとできる。こんなものじゃないといういい言葉だと思う。
もちろんチーム全体としての出来は悪く、中島選手も他の選手ももっともっとできるのだとは思うので次戦は危なげない戦いを期待したい。
日本はアジアでは最高のチームであるだろう。
そのエフィカシーを存分に発揮して予選を軽く突破してほしい。
心から応援しています。
内部表現の書き換えと抽象度についてのお話をしようと思う。
抽象度は情報空間から物理空間まで連続的に広がっている。内部表現の書き換えはどの抽象度においてもできる。
しかし抽象度の高いところから低いところへの影響は容易だが、逆の低いところから高いところへの影響はあまり期待できない。
これは内部表現書き換えのプリンシプルだ。
プリンシプルだけだとわかりにくいので、例で説明してみよう。
例えば、いじめられていて学校に行きたくないと思っている、子供がいるとしよう。時に親は強引に引っ張って学校へ連れて行く場合がある。
いじめられていて学校に行きたくないと思っているのは心であり、それは抽象度でいえば物理より上位に位置する情報空間にあるこころが影響をうけてしまっているのは明らかだ。それは誰でも理解できるだろう。
しかし、この親がした行動、引っ張って連れて行くという行為は抽象度でいえば情報空間より下位に位置する物理空間の体を引っ張ったわけだ。もちろん、親は子供の内部表現を変えたくてやったのだろう。強引に連れて行けば内部表現がかわると思ったというか、そのやり方しか知らなかったのか。
とにかく、物理的な影響でもって問題を解決しようとした。
誰でもわかると思うがこれで、子供が立ち直り、学校に行き始めるはずはない。
それは物理的に学校に行かないという行動は、抽象度でいえばその上位にある情報空間に存在するこころに問題があったからだ。
内部表現の書き換えはこの情報空間に働きかけることが必要になってくる。
情報空間に働きかけるためには抽象度の高い思考ができなければならない。この場合であれば、なぜ子供が学校に行きたくないのか、学校でどんなことがあったのか、誰にいじめられているのか、その子にとってどんな解決をすればまた楽しく学校に行けるのか、そもそもその学校に行く必要があるのか、などなどとその子のこころに影響を及ぼしている関係性を見抜き、そしてその子の内部表現つまり、心がマイナスからプラスになるように働きかける。
この例のように内部表現の書き換えとは、簡単にいうと心を変えるということである。
そして心を変えるとはより高い抽象度から働きかけると大きな成果が得られるということだ。
だから内部表現の書き換えと抽象度とはセットだと思えばよいだろう。
そして抽象度を上げることは容易ではないが、抽象度を上げていくことが生きるということそのものだと思う。言い換えれば人として成長、進化していくということだ。
私もその過程であるし、同じく皆さんもその過程であるのだろう。
共に成長、進化し抽象度を上げていきましょう。