4回にわたって苫米地博士の言葉を借りて形式定義をやってきた。
みなさん、だから何やねん!と思っているかもしれない。
実際、周りでも面白くないなどと言われた。
だから、何のために、結局何が言いたかったのかをこれから説明していこうと思う。
古来から人々は悩み、苦しみ、変わりたいと思いながら生きてきたと思う。そして多くの人が過去にどうすれば人は幸せに生きれるのかを考えてきただろう。
そして、偉大な哲学者や宗教者、それに数学者、物理学者、芸術家を生み出してきた。
私は苫米地博士もその一人だと思っているので、熱心に学ばせてもらっている。
2600年前に釈迦が悟ったとされている。そして悟った内容が空というわけだ。そしたらみんなが空ってなんですか?と釈迦に聞きたかったのだと思うが、釈迦は空については語らず、縁起という説明原理を説いたとされている。空は説明することは難しく、縁起という説明原理を通して空にたどり着いてもらいたかったのだろう。しかし釈迦は月を指さして、月(空)を見よ。指している指(縁起)を見るなと言っている。つまりみんなに説明原理の方ではなく、空の体感こそが悟りであると伝えたかったのだ。
現代科学では、相対性理論から量子論の時代になり、ひも理論の時代になった。この現代でも釈迦が悟って教えたかった空というものが量子論やひも理論の帰結と同じであるとのことから空という概念は改めて注目されるようにもなった。
それほど貴重な空という概念。
だからこそ我々は空という概念を知り、そして体感できるようになる必要性を感じるはずなのである。
現代では空を悟るのは誰でもできる時代になったと苫米地博士は語っている。
空を悟ったうえでどうやって生きるのかが問われるということだ。
だからまずは空という概念を徹底的にマスターしようということで、形式定義から入ってみた。
形式定義はなんとなくそんなもんねーとして捉えてくれたらいいです。正直私も、数学や哲学のプロフェッショナルじゃないので深い知識は持ってません。
しかし、大切なエッセンスはここからきちんとつかんでもらいたいと思っている。
続く
苫米地博士の宇宙の形式定義をしたうえで、今回は空の形式定義をやっていこうと思います。
包摂半順序束の宇宙において任意のふたつの概念もしくは存在をとりだします。
その二つの概念もしくは存在のGLBをbottomといいます。
そしてその二つの概念もしくは存在のLUBをtopといいます。
包摂半順序束の宇宙のbottomとはなんでしょうか?
これを現代分析哲学では矛盾と定義します。
そして包摂半順序束の宇宙のtopのことを空と定義するのです。
例えば、ペンと犬という二つの存在をとりだして、そのふたつの下位概念を考えます。ペンなのにワンと鳴く存在。ワンと鳴くのに書くことができる存在です。これを矛盾と表現するということです。下位概念の内のもっとも下位にあるものを矛盾というのです。
またペンと犬の上位概念はどうでしょうか?
現代分析哲学ではこれはいくらでもあるので特定の概念が存在しないとされているようです。
しかし、苫米地博士は東洋の仏教哲学を使って、これを空と定義すると言います。
空とは宇宙の何よりも上位であり情報量の少ないもの。
包摂半順序束のtopであり、宇宙の全てを潜在的に内包しているものとして、定義しているのです。