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こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
プロスポーツ選手はなぜメンタルコーチが必要なのかというテーマでいきたいと思います。
プロスポーツ選手は極限の心理状態の中で最高のパフォーマンスを出す必要があります。プロスポーツ選手は相対の関係で負けると思った時点で負けることを知っています。
当然、単に強気になるというだけでも勝てない。
揺れる心の動きをコントロールすることが自分のキャリアに関わることを痛いほどわかっているからこそ、メンタルコーチを必要とするのです。
それではメンタルコーチの役割とはどういったものなのでしょうか。
メンタルコーチの役割は冷静にさせること。リラックスさせること。集中状態を維持させること。といったことがあげられます。
しかし、中でも一番重要なことはエフィカシーを下げさせないことです。
どんな場面においても高いエフィカシーを維持することです。
あらゆるスポーツはその対戦相手がいたとしても、最終的には自分のマインドとの戦いになります。
テニスなどでは、ネットの向こう側の相手と戦っているように見えますが、(実際戦っているのは事実です)その相手は自分の脳内にいるのであって、その脳内で相手に負けてしまえば、結果もそのまま表れてしまいます。
対戦相手が自分の脳内にいるとはどういうことか?
視覚などの五感はあらゆる感覚器を通じて、結局、脳内の神経ネットワークを通じて情報として認識されます。
つまり、この世界の全ては脳内には情報として伝わっていると言えるのです。
だから、目の前に映った対戦相手も自らの脳内の情報として認識されているということです。
ということは脳内、ここでいうなら心でしょうか。マインド、メンタルという言葉でも同じです。
メンタルに統一しましょうか。
メンタルが相手に勝つか、負けるか。
このことが、パフォーマンスに及ぼす影響ははかり知れません。
私はこれが全てと言っても過言ではないと思っています。
もちろん、その試合の時だけという意味合いではなく、何週間も前から、いやそのスポーツを始めたときからずっと勝つメンタルを作り上げてきた人が、強い人なのです。
気づかれた方もいるかもしれませんが、
実はこのメンタルの強さとはゴールの大きさのことなのです。
大きなゴールを掲げてその自分にふさわしい自分のイメージを長年トレーニングと共に培った人がメンタルの強い人と言われる人であり、成功を手にしている人なのです。
そして、成功しているスポーツ選手は、このようなゴールの設定の仕方を教えてくれた存在が必ずいます。子供の頃では親になるでしょう。
卓球の福原愛選手や、イチロー選手、タイガーウッズにしても、必ず親がそばにいて精神的サポートを行ってきました。
メンタルという領域も、心理の技術です。誰かのサポートがなくてはうまく自分の心を乗りこなせないのです。
一人の力で乗り越えていくことは極めて難しい領域なのです。
これがメンタルコーチが必要な理由です。
スポーツ選手はメンタルコーチをつけることで飛躍的に成長することを知っていただけたでしょうか。
こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
今回はスポーツのパフォーマンスを上げるための方法です。
方法論はたくさんあります。できれば、セミナーやワークショップなどに来ていただいてワークのやり方を覚えると効果は高いです。
しかし、ここでは文字情報で一番大切なことをお伝えしようと思います。
その大切なことはエフィカシーです。
また、エフィカシーか!と思われる方も多いかもしれません。しかし、エフィカシーの本当の意味合いを理解するためには何度も何度も、色々な角度からとらえることが重要です。
スポーツの場合は競技なので競う相手がいることと思います。
そして、競う中で自分が、若しくは自分のチームが、一番になっていきたい。そう思っているはずです。
その対戦相手(競う相手、競うチーム)にどうやって勝つか。
要はスポーツは技術や経験や練習量など様々な要素が関わりあって結果となるわけですが、コーチングといった観点から見てみるとそれはエフィカシーの勝負とみてとれるのです。
対戦相手よりも高いエフィカシーを保てているか。それだけです。
ここでもう一度エフィカシーとは何かを説明しましょう。
定義はゴールに対して達成することができる能力の自己評価です。
スポーツに関して言い換えれば、対戦相手に勝つことが出来る能力の自己評価です。
鍵は能力の自己評価!!
例えば、自分よりも実績的に各上の相手と戦うとしましょう。
テニスで言えば、ランキング100位の選手がランキング1位の選手と戦うような場合です。
一般の人は「わー!今日の対戦相手は格上だ!勝てるかな?無理だろうな。でも出来る限り精いっぱい戦ってみよう。負けるだろうけどな。」
と心の中で思っています。
これではいけないのです。エフィカシーが低い状態と言えるのです。
ではどのように思うか。
エフィカシーが高い人はどう思うか。
「俺の方が強い」
これだけです。
もう一度、思い出してください。自分の能力の自己評価です。
自己評価なのですから自分で勝手に自由に決めればいいのです。
スポーツ選手は勝ちたいのだから、対戦相手がどれだけ実績的に強うかろうが「俺の方が強い」「私の方が上」と思えばよいのです。
えー、そんなー!
という言葉が聞こえてきそうですが、本当に勝ち残っていく選手はそう考えているのですよ。
恐らく、スポーツ選手の優劣を分けるのはこの一点なのです。
技術や練習量や経験よりも先立つものがエフィカシーなのです。
エフィカシーが高いから、技術の習得が出来るし、たくさんの練習をすることができるし、経験から学ぶことが多いのです。
多くの人は超一流の選手を見て、あの人は技術が高いから、練習をしたから、経験があるから、すごい選手になったんだと解釈しがちですが、
違います!
違います!
違います!
最初にエフィカシーが高かったから超一流になったのです。最初からエフィカシーが超一流だったのです。
ここをしっかり、覚えておいてください。
相手選手にどこまでも勝っていく自分の能力を今、確信してください。
絶大なる自分の能力を確信している状態があなたに様々な試練を持ってきます。後はその試練を乗り越えていくだけ。試練を乗り越えていくこと自体はそんなに難しくはないのです。
自分の絶大なる能力を確信することに比べれば容易いことです。
最も重要なことはとんでもないくらい高いエフィカシーを維持することです。
自分の絶大なる能力を確信してください。
あなたになら出来る!
こんにちは。苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
先日、家の近くにあるグランドで少年野球を見ていました。
ある少年が守備についているときです。バッターが打った打球がその少年の元に飛んできました。少年はこちらから見ても、緊張していました。見るからに、ガチガチです。
そして、やはりその少年はトンネルをしてエラーをしてしまったのでした。
少年はその回が終わった後にベンチに帰ってきます。
すると、コーチは怒り気味に、その少年にあの時の場面ではこうするんだという説明をしていました。
ここまではどこにでも少年野球の光景なのですが、ここからが今回のテーマです。
そのコーチはえらく長くその少年をしかりつけていました。そして次の会が終わった後もまた少年にミスの場面について説教をしているのです。
もし、あなたがコーチならどんな対応をとりますか。
少年が野球をうまくなるというためにおいては、このコーチのアプローチは間違っています。(コーチのストレス解消なら間違っているとは言いませんが、ほとんどのコーチは子供に野球がうまくなってもらいたいと思っていますよね。)
まずはミスの原因が緊張からきているのであれば、それは技術的な問題ではありません。リラックスして持っている技術が発揮できるようにするべきです。
方法論としての一番は馴れです。
何度も何度もそのような場面に直面していれば慣れてきます。
馴れるとだんだんと緊張は解けていきます。
しかし、とはいうものの大舞台という場面にも遭遇するわけですから、例えば、いくら練習に励んできた高校球児が多くの試合を経験していたとしても、甲子園でのシチュエーションとなれば緊張してしまうのは当然です。ましてや日本中が注目する甲子園決勝戦ともなればほとんどの高校球児は緊張してしまうでしょう。
そんな大舞台でも緊張しないようにするには普段のイメージトレーニングで何度も何度も甲子園決勝を経験しておくという手があります。
心の中で何度も何度も経験しているとその場面に慣れ親しんでいきます。
するといざ本番となった時にも脳は慣れ親しんだ場所だと勘違いして普段通りのパフォーマンスが発揮されます。
そして一番大切なのは、普段からでっかいゴールを掲げていることです。それこそ普段からのイメージトレーニングをメジャーリーグの大観衆の中で活躍している姿にしておけば、甲子園決勝なんて俺なら勝って当然だという解釈を脳にさせることが出来るのです。
このような意味においてもやはり、普段から大きな夢をもっておく必要があることがわかるのではないでしょうか。
コーチの話に戻りましょう。
コーチが少年へのアプローチで、間違っていると言った最大の理由は、ミスを少年の脳に何度も植え付けてしまったことです。
失敗してしまったという少年の内省的な声は、その少年のこころに傷をあたえます。
そして、その否定的な内省的な声が自分の中で受け入れられてしまった時にその少年は自分の存在に対してこのように定義してしまいます。
僕は野球が下手である。
一度このような否定的な自分の存在が出来上がってしまうと、例え、素晴らしいパフォーマンをしたとしても内省的な声は「いや、これは本当の僕ではない。だって僕は野球が下手なんだから」
と野球がうまい私を拒否してしまいます。
こうなってしまっては技術をいくら教えたところで全く無意味です。
脳は技術を習得する必要性を感じなくなっているのですから。
だって僕は野球が下手だから。
ですから、コーチはミスをした少年に対しては、一言「君らしくなかったね」と言ってあげればいいだけなのです。
ミスした場面を脳内で何度も繰り返させるような説教は論外だと覚えておいてください。
上手くできたときは「さすがだね。素晴らしいね」
ミスしたときは「君らしくなかったね」
です。
僕は素晴らしいと思っている少年は勝手に技術を習得していきます。
指導者の本当の役割は子供の自己イメージを決して下げさせないこと。
どんどん、どんどんと自己イメージを引き上げてあげること。
これだけです。
否定的な自己イメージを持たせず、肯定的な自己イメージをうえつける。
これが子供のパフォーマンスをどこまでも引き上げていく秘訣です。
サッカー日本代表オリンピック予選がカタールでおこなわれている。
北朝鮮戦を見ての苫米地式コーチの観点からの感想を述べておこう。
率直な感想はどちらが実力的に優勢か、どちらに勢いがあるか、どちらの戦術が功を奏したかなど、よくわからない試合だった。
恐らく、お互いに初戦ということもあり、どちらも相当緊張していたのだろう。緊張の要因はやはり、国の威信を背負っているということによると思う。このブログでも何度も言ってきたのだが、リラックス状態でなければ本来の能力は発揮できない。とはいうものの国の威信を背負って戦うときに、しかも初戦で緊張するなというのもこれまた難しい。
しかも早い時間帯で、得点がはいったこともどちらのチームにとっても落ち着かない展開の要因であったようにも思う。
そんな中で、一人目に留まった選手がいた。10番の中島選手だ。私はマインドのコーチとして、コーチング的な見方になる。だからコンディションやフィジカルや戦術などの視点からではなく、マインド、メンタル、オーラなどの視点から見ている。その点で中島選手は一番エフィカシーを高く維持していたように感じた。
もちろん10番を背負っているのだからエースとして当然の働きなのかもしれないが、エースがエフィカシーを高く維持することができないとチーム全体がそれに引っ張られて弱くなってしまう。その点で緊張状態の中でもなんとか勝ちに結びついたのは少なからずエースの存在感があったからではないだろうか?私はそんな風に感じた。
しかし、当の本人のコメントは「アジアなので(勝てた)。五輪の初戦でこんなプレーをしたら大敗する」
さすがの高いエフィカシーだ。
自分は自分たちはもっとできる。こんなものじゃないといういい言葉だと思う。
もちろんチーム全体としての出来は悪く、中島選手も他の選手ももっともっとできるのだとは思うので次戦は危なげない戦いを期待したい。
日本はアジアでは最高のチームであるだろう。
そのエフィカシーを存分に発揮して予選を軽く突破してほしい。
心から応援しています。
プロスポーツ選手やオリンピックでメダルを目指す選手は果たして、そのスポーツを楽しめているのだろうか?
そんなことを考えてみたい。
まず、プロはファンのために勝つことが要求されるし、楽しんでいたのではすぐにクビになってしまうかもしれない。年棒に見合った成績をあげる必要がある。楽しむことよりも重要なことがあるのがプロの世界だろう。
オリンピックのメダルを目指している選手にしても、心、技、体と徹底的に鍛え上げた人々の中でその頂点にいこうとするのだから、楽しむなんていってはいられない世界だろう。
好きではじめたその競技がいつのまにか楽しむことからかけ離れた世界に連れて行かれる。そんな体験をしている選手が多くいるのではないか。
スポーツというものはそのゲーム性を楽しむものである。
だからこそ、体重別、や年齢別、性別、プロとアマ、などに分けて公平性を維持しているのだ。
不公平な競技なんてやっていてもおもしろくない。
私が小学生にサッカーを教えていたときがあった。小学生同士の試合の中で人数が足りないということでコーチが入ったりすると突然子供たちはやる気をなくす。低学年の試合に高学年がはいってもぶーたれて、やる気をなくしたりする。
子供ながらに公平性を保てなくなったゲームは敏感に感じ取り、面白さを感じなくなるようだった。
逆にこんなケースもあった。私が子供のころ近所の公園で、野球をしていると隣で野球をしているグループに試合を持ちかけることがあった。私たちは小学5年の友達と二人、相手は小学6年二人、小学4年三人、2対5の試合だ。しかし、なんとなくの力量からちょうどいい勝負ができていた。双方が楽しめていたのだと思う。
こんな遊びからもっとゲーム性を高めたほうがおもしろいとう発想から、審判がついたり、人数を合わせたり、コートの大きさを統一したり、大会を開催したりとなっていったのが今のスポーツだ。
あくまでも、公平性を維持した中でゲーム性を楽しむものがスポーツである。
プロ選手はファイナンスという目的でのスポーツをしているという要素が加わる。
それはやっている側が主役なのではなく、見ているファンが主役な場である。それはお金を払う側の期待にこたえるという職業だからだ。
ファイナンスという観点からは確かに選手がスポーツを楽しむということができないかもしれない。
しかし、ここで何度も超一流アスリートになるための方法論を示しているが
スポーツが楽しいことでななく、義務感になるとパフォーマンスとしてのその能力が一気になくなってしまう。
プロフェッショナルな世界に身をおいたスポーツ選手とはもともとは、天才などとよばれた存在で、あまりにもすごすぎて、その技量はこのステージでは不公平だよなという感じで、次のステージ、次のステージと活躍する場を高いステージにあげてきた人たちであり、
あくまでも自分と同じぐらいの相手と戦ったほうが楽しいというスポーツ本来の公平性を維持している世界だ。
そこに職業になった点で、ファイナンスという観点がはいり、楽しさを維持することができなくなったような気がするかもしれないが、
そこで自分の全力を尽くして相手との戦いに勝つことや自分の演技を披露することは今でも楽しいことだと思う。
スポーツにおいて感情のコントロールが重要であることは誰でも知っていると思う。
そのあたりを具体的に考えてみよう。
負けて悔しいという感情はどうだろう?
私はNO1の選手なのだというホメオスタシスを維持していれば、もし負けたら、NO1ではないじゃないかというブリーフシステムの葛藤がおきる。
その葛藤が感情となって現れる。
悔しさが現れたり、絶望感が現れたり、挫折感、恐怖感
NO1であるという自己イメージとともに常にそうではないのかもしれないという状況になるのはよく考えてみると当たり前だ。
NO1であるという自己イメージは未来のものである。
未来にNO1であればよいのだ。
そして未来のNO1の道を登っていくときに連戦連勝というわけにはいかないのは当然だ。
そのときには必ずいろいろな感情が押し寄せる。
感情は比較的古い脳が活性化した状態なので、理性という比較的進化した脳を使って、この問題を解釈し直すことが重要である。
どういうことか。
未来にNO1であるということは現在もNO1である。
こう思う必要がある。
しかし、未来にNO1でも現在はその力量を手に入れていないわけだから、負けてしまうこともある。
そんなときには
未来のNO1の俺らしくないなと解釈するのだ。
そして現在のNO1ではない改善点をみる。一度だけみる。見すぎてはいけない。
なぜなら、見すぎると現状の自分が強化されてしまうから。
未来のNO1の私はその改善された状態の自分であるはずだ。
今回の体験はそのことに気付くための体験だったんだと解釈する。
ここで未来のゴールの臨場感が増したわけだ。
すなわち未来にNO1である私に一歩近づいたわけだ。
このように、負けたときや調子が悪かったときに、ネガティブな感情が現れた時にはこのように理性的セルフトークにより、感情に介入して、解釈を変える必要がある。
そしてそのときに絶対に未来のゴールのエフィカシーを下げないことだ。
この感情のコントロールができればあなたはすぐにNO1の未来の私に出会うことになるのだ。
スポーツ選手のための苫米地式コーチング
なぜ、このタイトルにしたかというと私がスポーツが大好きだから、そしてプロやオリンピックを目指すためにも苫米地式コーチング理論が非常に役に立つと思ったからだ。
また、私のライフワークとしてスポーツ選手やスポーツの世界で大きな夢を見ている子供たちの応援をすると決めたからだ。
しかし、本来のコーチングとはライフコーチングであることを伝えとかねばならない。
どういうことか?
プロやオリンピックを目指す若者や子供たちにとっては自分の競技の中でパフォーマンスの向上を目指したり、キャリアを上げるための実績を残すことには非常に興味があることだろうと思うし、その協議の中で、パフォーマンスをあげるためにも苫米地式コーチング理論は是非学んでもらいたい。
しかし、スポーツのことだけフォローするのがコーチングではない。
コーチングとはあなたの人生のすべての場面においてフォローすることをいう。巷でスポーツの技術を教える人をコーチと呼ぶがそれはインストラクターであり、本来のコーチとは違う。コーチングとはオールライフコーチングであり、コーチの担当もオールライフなのである。
苫米地式コーチングではバランスホイールという考え方を重視している。
仕事
趣味
家族
健康
生涯教育
老後
地域貢献
お金
など(これらのほかにもいくつあっても構わない)
これらの全てにゴールを掲げてもらっている。
理由はスコトーマをつくらないためと、ゴールの臨場感を増すためだ。
だから、人生におけるあらゆる方面にまんべんなくゴールを設定してください。
意外かもしれないが、職業だけではゴールになりえない。
例えばプロ野球選手になるはゴールにはなり得ない。
どんなプロ野球選手になるのかはゴールになる。
プロ野球選手になって家族を幸せにするとか、プロ野球選手になって社会に貢献するとか、プロ野球選手になることにバランスホイールのすべてが入っている必要がある。
人生の様々な方向性に対して具体的なイメージが加えられてこそ高いエフィカシーも、アファメーションも効果の高いものとなる。
バランスホイールのすべてにゴールをつくる。そしてそれらのゴールを包含した一つ上の抽象度のゴールをつくる。
そしてそれをアファメーションとして作り上げ、毎日唱えることをぜひともやってほしい。
これらを理解して、作り上げたアファメーションがプロスポーツ選手だったり、オリンピックだったりとしたなら、もう一度このブログの理論編を見直してほしい。
そこにあなたの人生の全てが入っているような選手にきっとなれる。
現在はわからないが、一昔前にサッカーにおいてのブラジル人の成功の話はよく耳にした。
貧困層で生まれたブラジル人の子供にとって成功とはサッカーや歌などのごく限られた中での選択だろう。その子供たちにとってプロになるということは夢であり、ゴールであった。スパイクも買えない、ボールも買えない、子供たちにとってこの生活を抜け出して自分も家族も幸せになるためにはサッカーでのし上がることしか考えられないわけだ。そこで成功した選手たちは親に家を買ってあげたり、学校に寄付をしたり、クラブを作ったりといった地域の環境を良くする活動をしたり、もちろん自分もお金持ちになってきれいな女性と結婚したり、と
俺はプロになるというゴールの中には
実は全てが入っている。
ゴールは部分的に自分ひとりで完結しているものではない。
自分とまわりとの関わり合いの中で自らがこうなれば素晴らしいと思うもの全てが含まれた景色のようなものだ。そしてこの臨場感をより鮮明にするために、バランスホイールを考える時間が必要なのだ。
「悔しかったですし、何もできなかった。自分の力のなさをあらためて実感しました。自分の今のレベルが分かったというか……」
10月25日カンプノウ バルサ戦での乾選手の言葉だ。
乾選手は世界最高峰のスペインリーグで活躍しているサッカー選手。
そしてその中で世界のトップとして長年、君臨しているサッカー選手の憧れのクラブ、メッシやネイマールといった世界最高のプレイヤーが活躍するチーム、それがバルセロナ、通称バルサである。
乾選手は子供のころは天才と呼ばれていただろう。
自分よりうまい選手に会うことのほうが難しかったくらいだろう。
僕もサッカーをしていたからよくわかるが技術の高さは群を抜いていたと思う。
しかし、プロになればしのぎを削るライバル達にも出会う。あまりにも簡単に書いてしまうが、その中で高いエフィカシーを維持し続け、世界最高峰リーグのスペインリーグでレギュラーとして活躍するほどになった。
そして対戦相手として本当の世界のトップチームと対戦することができた。
そして上記のコメントだ。
恐らく、打ちのめされた感覚ではないだろうか。登って登って登ってきてようやくたどり着いた山の地点から見た頂上はまだこんなに高いのか!という感覚ではないだろうか。
登ってきた距離よりももっと遠くに思えるような感覚。
苫米地式コーチングでは非常に重要なポイントなので例にあげさせてもらった。
「力のなさを実感した」という言葉
力のなさを実感したということはまだ登る山があるということだ。
絶望するぐらいの山の高さを見たときこそエフィカシーという言葉を思い出す時だと思う。
この山を俺なら、私なら、登ることができる。
この壁を俺なら、私なら、超えることができる。
きっとできる。
高いゴールを見つけた瞬間だ。
ホメオスタシスがずれる瞬間だ。
乾選手はもちろんスポーツ選手の中でも先頭を走っている一人だと思う
しかし、誰でも、一緒だ。。
絶望しそうになった時こそマインドの使い方が問われる時だと思う。
絶望しそうな高い山を見つけた時こそが
ゴールを見つけた時なのかもしれない。
そのゴールを達成することができる能力の自己評価がエフィカシーだ。
絶対にエフィカシーを下げない。
マインドにこのこと刻み込んでほしい。
今回はプロスポーツ選手のエフィカシーについて説明したい。
以前の記事で勝敗や順位をゴールにしてはいけないと述べた。
しかし、プロの世界においてはそんなこと言ってられないのではないかという意見があったので、プロ選手について考えてみようと思う。
プロの世界はファンがいて成り立っている世界であることは周知の事実だろう。ファンとは一般企業ではお客様のことであり、グッズや入場料などの収益源はそのお客様から得ている。
そして、プロ選手はその収益から報酬をもらっているという職業だ。
プロの球団や組織は勝敗や順位によってその収益が変わってくるのだから資本主義のルール、会社のルールに則れば勝つ必要があるし、優勝するために運営しているといってもよい。
だからこそプロ選手は勝てる選手が高い報酬を得ることができる。
当たり前の話である。
ゴールがプロスポーツ選手で、最高額の年棒をもらうんだとうゴールは全然悪くない。
この引く手あまたの勝てるスポーツ選手になるために、勝つことをゴールにしてはいけないというのは、選手として成長していくときに、勝敗にこだわりすぎて自分のパフォーマンスへの成長を阻害しないようにという意味である。
最高額の年棒をもらえる勝てるプロ選手とはこのパフォーマンスが他の選手よりはるかにずば抜けている選手のことである。
24時間365日ずっと自分のパフォーマンスのことだけを考えているのがプロの中のプロ、超プロである。
そして、そんな超プロ選手のエフィカシーとは
勝って当たり前、優勝して当たり前なのである。
勝ちたい、優勝したい、一位になりたいは裏を返せば勝てるかどうかわからないから勝ちたい。優勝できるかどうかわからないから優勝したいわけだ。
当たり前に思うマインドは非常に重要なポイントだ。
確信パワーともいう。
当たり前、確信しているとどうなるか。
ホメオスタシスの説明を以前した。このホメオスタシスが勝つことに働いているとことだ。ホメオスタシスは当たり前、確信しているところに強烈に働き、結果を引っ張ってくる。
負けそうになるとすごいパフォーマンスを発揮してミラクルを起こすことができたり、
ミスをしても、そのあと劇的にパフォーマンスがあがったりする選手を見たことがあると思う。
それはその選手にとってみれば勝つことが当たり前になっているから負けそうになると「なんかおかしい」というマインドの力が働いて元に戻そうとする。これが認知的不協和とも、ホメオスタシスともいうものだ。
いつも楽勝で勝つ相手に偶然が相次いで、リードされてしまったときなどに、スポーツ選手なら誰でも、マインドの中にもわもわと、何らかの高揚を覚える体験をしたことがあるのではないだろうか。
これがホメオスタシスというものであり、勝つという状態に戻そうとする働きのこと。
その力が働いた時には結果的にも本当に勝利してしまう。
プロの世界とは
小学生、中学生、大学生、社会人と常にトップを走ってきた選手であろう。
そしてそのトップを集めたプロの世界で、この勝つというホメオスタシスを維持するというのは並大抵のことではない。
しかし、マインドの世界の中でこのホメオスタシスを維持することに成功し、勝つことなんて当たり前と思える選手を超プロというのだ。
そして、この「俺、私は勝って当たり前」思うマインドをエフィカシーと呼ぶのだ。
思い出してほしい。エフィカシーの定義とはゴールを達成する能力の自己評価のことだった。
勝つことを達成することのできるパフォーマンス能力の自己評価だ。
自己への圧倒的パフォーマンス能力への自己評価、
このエフィカシーがあって
プロ選手にとって至上命題でもある、勝つという選手になることができるのである。
スポーツにとって勝敗はどうでもよい。順位はどうでもよい。
えーと思われただろうか?
ゴール設定で注意してほしい、とても大事なことだ。
勝敗や順位を過剰に意識しすぎるとエフィカシーを下げてしまう。絶対負けないぞと思えば思うほど脳は負けを意識するようになる。勝とうとするればするほど同時に負けを意識していることにもなるのだ。
スポーツをやってればもちろん勝つとうれしい。
しかし、そのうれしいと思うブリーフシステムを一度疑ってみる必要がある。
スポーツを子供のころに我々は学んだ。教えてくれたのは先生や親やコーチや監督と呼ばれる人だっただろう。
その人達から勝つ重要性を叩き込まれている。それは直接的に言われることもあったろうが、無意識的にも徹底的に刷り込まれていると思う。
例えば、負けたらコーチや監督が説教してくる。それを悲しそうに親が眺めている。そしてそんな暗い状況下の中で仲間も申し訳なさそうな雰囲気を醸し出している。
そんなあなたは「あー負けたらだめなんだ」と心に刻み込む。
逆に勝った時にはお祭り騒ぎのようにみんなで楽しんだり、褒めてくれたりしたのではないか。
こんな状況であなたの重要性は
勝つことが善であるという強烈なブリーフシステムの形成をおこなったんではなかろうかとうことだ。
勝負けや順位はスポーツにおいては結果である。
大事なのはゲーム性とその中でいかに超一流クラスのパフォーマンスを発揮できるかということだ。
ゲーム性とは、一定のルールの中でどれだけのパフォーマンスを発揮できるかということ。ゴルフのハンディキャップや野球のプロやアマの区別、各種競技での体重別、年齢制限などを課して、戦う者同士の力の差をあわせて、その中で各々がパフォーマンスを発揮させてゲームとして楽しむことである。
スポーツにおいてのゴールは,勝つことや順位にしてはいけない。
びっくりするかもしれないがいけない。
なぜかというと
先ほども言ったがあなたを超一流アスリートにするためのエフィカシーが下がってしまうからだ。
アファメーションの11のルールの中のひとつにも比較をしないという項目があったことを思い出してほしい。
相手が負けて、自分が勝つとうれしい。は比較、優劣だ。
それはだめ!
ではどうするか
あなたのパフォーマンスに焦点をあてるのだ。
それが今は10秒台だが、9秒台をだしてやるぜ!であったり
どんな緊迫した場面でも焦らず、自分らしいプレーをやり続けるぜ!であったり
と自分のパフォーマンスにおけるゴールを設定してほしいのだ。もちろんコンフォートゾーンの外にね。
サッカーワールドカップブラジル大会でのメッシの活躍を思いだした。
アルゼンチンはベスト4で敗れはしたが、メッシはMVPを獲得した。
僕から見ると、ワールドカップという大舞台にも関わらず、メッシは常にリラックスを続けてプレーしたように見えた。メッシは普段から運動量は抜群に少ないのだが、あんな大舞台で、他の選手が命をかけてプレーしているような状況を間近でみながらも、ひょうひょうとのんびり、プレーしていたようにみえた。
メッシのこころのうちは知らないが、どんな状況下でも影響を受けず最高のパフォーマンスをするための選択ができるというのは超一流の証だろう。
あなたのゴール設定に勝敗や順位を持ち込むのはやめてほしい。
あなたのパフォーマンス、チームのパフォーマンス
これを超人級にしたときに、勝敗や順位は結果としてついてくると思ってください。