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苫米地理論 自我の形式的定義

 

苫米地理論における自我の定義

 

自我とは宇宙の中から自分を定義する部分関数である。

 

宇宙に自我という関数を入力すれば私が出力されるということです。

 

これと同じ表現をして例えるなら自然数における偶数という概念があります。

自然数に偶数という関数を入力すれば(2,4,6,8,10・・・)が出力されるのと同じです。

 

では、自我という部分関数の中身とはなんなのか?

 

それは私にとっての重要性で並べられた情報のことです。

 

私は兵庫県に住んでいて、親はだれだれで、兄弟は何人で、好きな食べ物は何で、どこどこの学校出身でなどと、私を定義する情報のネットワークを自分にとって重要な順番に並べ替えます。

 

そして例えば、好きな食べ物がプリンだったとしたら、プリンという情報のネットワークもまた多数存在し、そのネットワークは無限に広がっていきます。

 

その無限のネットワークの中で、自分にとって重要な順番に並べられた情報の中心点が自我ということになるのです。

 

自我の説明を試みた時に、自分にとって重要な情報をあげることはできますが、自我自体の説明をすることができるでしょうか。これが自我が点と同じようなものであるといわれるゆえんです。

 

ユークリッド幾何学の定義における、円に対しての中心点とは面積のないものです。ですから、これ!といた存在をとりだすことができません。

 

また同じく、線分の端にしても存在していることは間違いないのですが、線分の定義は幅がないのですから、これ!とその存在をとりだすことはできないのです。

 

ですから、同じように自我もとりだすことのできるようなこれ!といったものがなくただ自我という中心点に向かって重要性の順でならんだ情報の集まりであるといえるわけです。

 

自我

ゴールのある人生を選択しますか?

 

人はゴールを設定しなければどうなるのか。

 

時間は未来から過去へと流れている。未来からどんどん押し寄せてくる出来事たちの中で、我々の認識とは重要であることだけを拾い出して生きている。

 

ゴールを持っているということは未来の方向をむいているということだ。

 

川で例えると、川上を見ている状態がゴールがある状態。未来を見据え、チャンスが流れてきたときには適格に拾っていくことができる。

 

ゴールがない状態とは、川下を見ている状態のことだ。過去のことばかり気にしている状態だ。過去をみていて未来から流れてくるチャンスを拾うことができるだろうか。みつけたときにはすでに流され遠ざかっていっているのだからチャンスはつかめない。

 

ゴールを設定するからこそ成功ができるという意味は、未来を見据えているからこそチャンスが拾えるともいえる。

 

逆にゴールがないとは現状が続いていくということだ。現状のゲシュタルトは過去の記憶でできているのだから、現状のまま生きるとは過去を生きているということができるのではないか。

 

また魚が陸に上がった話をする。
陸にあがった魚がいたように深海にもぐった魚がいたはずだ。その魚は深海魚となる道を選んだ。

 

光も少ない、餌も少ない、暗い世界、その中で生きるという選択をした魚。

 

僕から見るとゴールのない世界とは少しずつ、少しずつ、深海にもぐっている人生に見える。もちろんどちらがいい、悪いというつもりはないのだが。

 

僕はゴールのある人生を望むし、ゴールのある人生を望む方のお手伝いをしたいと思っている。

 

ルー・タイスが教えてくれた言葉に

 

it’s my choise

がある。

 

ゴールを持たず現状を生きる道もit’s my choise

 

未来にゴールを設定して生きる道もit’s my choise

 

またどんなゴールにするか、すべてit’s my choise

 

そんなあなたを心から応援することが僕のit’s my choiseだ。

 

過去の出来事、環境、年齢、など一切関係ない。誰であろうとゴールを持つことはできる。今から、でっかいゴールを持つ気になってくれたとしたら幸いだ。

 

亡きルー・タイスの多くの言葉に感謝を込めて。

ゴール達成は苦しい?

 

今日はゴール設定について。

 

ゴールはコンフォートゾーンの外側に設定することの重要性は嫌というほど言ってきたつもりだ。

 

だが、まだ言う(^-^)

 

魚が陸にあがることを進化と呼び、陸のことをコンフォートゾーンの外と呼んだ。

 

現実的に考えてみると、苦しいところになぜ行かないといけないんだ?と思う人もいるだろう。

 

そこのところを突っ込んで考えてみたい。

 

魚達の世界、海の中でライバルの魚も増え、その分餌にありつける頻度も減り、しかも自分を食べようとする魚も増え、しかもそいつ達もまた、飢えている世界があった。

 

毎日が食うか食われるかの世界だ。
その分大量に子孫を残そうと試みるが、ほとんどが卵からかえることもなく、食われていく。そして何とか卵からかえったとしても、稚魚の段階で食われていく。そして命からがら成長を遂げたとしても、大きな魚の大群に食われていく。

 

もう、やってられるか!!

 

という魚がいたとしよう。

 

この魚が陸を見た。

すると陸にはライバルもいない!餌もたくさんある!こんなパラダイスのような世界に住めたらどんなに素晴らしいかと思った。

 

コンフォートゾーンの外の世界とは慣れ親しんだ世界ではないので、緊張もするし、勇気もいるし、恐怖もある。そんな世界になぜ行きたいのか?

 

それはもちろん自分が行きたいからだ。

 

おわかりだろうか?

 

ゴールというのはあなたが心から望んだこうあれば超うれしい、楽しい、誇らしい、という感情を伴った世界のことである。

 

我々は幼少のころから努力を美徳とし育てられてきた。そしてHAVE TO(しなければならない)ですることを当たり前として受け入れてきた。そんな人がコンフォートゾーンの外のゴールと言われると努力を死ぬほどする世界、HAVE TOなことを死ぬほどする世界のビジョンが出ることがある。

 

そんなゴール嫌に決まっている。

 

ゴールはあなた自身が心からうれしい、楽しい、気持ち良い、ハッピーと思えるもののことだ。

 

だからこそゴールを達成したいのだ。

 

先ほどの魚も陸の世界が超ハッピーな世界に思えたから、ゴールを設定することを望んだのだ。

 

その結果が
うー苦しい!呼吸ができない!という出来事が起こり、このままではだめだ!なんとかしなければ陸に行けない!という問題が生まれ、そこで俺にはできるというエフィカシーにより肺呼吸という進化を生んだのだという順序を理解してほしいのだ。

 

まず、ゴールはあなたが感情を含めて心からハッピーと思える世界のこと。
そしてそれに向かっている最中が全て苦しくないことでなないということ。

 

そして、その苦しい姿をはたから見ていると、あんなしんどいことして努力家ねと思われるかもしれないが、当の本人は努力でもなんでもないということ。

 

つまり。ゴールを達成したいときにやることは楽しかろうが、苦しかろうがすべてがWANT TOであるということ。

 

今回はここを理解してほしかった。

 

そして付け加えると

 

なぜゴールが設定されたかというと魚は現状に不満を持ったからだった。

 

現状への不満こそがゴール設定へのヒントとなることを知っておいてほしい。

 

だからこそ現状への不満は大いに結構なのだ。

 

やってられるか!!と言ったあの魚だけが進化の道を遂げるのである。

アファメーションを毎日書くことの重要性

 アファメーションを毎日書くことがなぜ重要なのか、そのことを考えるために

・アファメーションの重要性

・アファメーションを毎日唱えることの重要性

・アファメーションを書く重要性

この3つに分けて考えたいと思う。

 

まず、アファメーションの重要性はといえば、脳に現状のゲシュタルトを選択させずにゴールのゲシュタルトを選択させるために非常に効果的だからだ。言い換えるとゴールを達成するための一番の早道だからだ。

 

  ルー・タイスの理論によれば、脳は一つのゲシュタルトしか維持することができない。そのゲシュタルトといえば通常は過去の積み重ねの現状というゲシュタルトが選ばれる。我々が何か夢をかなえたい。目標を達成したい。変わりたいと思った時に夢がかなわない、変わらないのはこの過去の積み重ねの現状というゲシュタルトが維持されてしまっているからだ。この現状を維持するというパワーは強烈で、強烈にもとに戻ろうとするホメオスタシスが働いているから。このホメオスタシスは生命が生きながらえるための機能でもあるので強烈なのは当然といえば当然といえる。

 

 セルフコーチングにしても、パーソナルコーチングにしてもこの現状VSゴールのゲシュタルトの選択の戦いにおいてゴールのゲシュタルトが選択させなければゴール達成することができない。つまり強烈な現状維持のパワーに打ち勝たなければならない。

 

  その方法論の代表がアファメーションといえる。

アファメーションという用語のほかにもセルフトークのコントロールや、ヴィジュアライゼーションといった方法論があるが、これらを機能させるためにアファメーションが必要である。

 

 例えば、すべてのセルフトークのコントロールは無意識を含めて考えるとコントロールするのは大変だ。実質アファメーションだけが自分をコントロールできる唯一の手段であるといえると思う。これらのことからアファメーションがゴール達成において重要な要因であるといえるだろう。

 

次に毎日唱えることの重要性だが、アファメーションは唱える回数が多ければ多いほど達成するスピードはあがるとルー・タイスは言っている。だから、毎日唱えるということは達成するスピードをあげることになるのだ。

 

 ルー・タイスも最低朝晩2回が望ましい。できれば5回唱えるとよい。と言っているので、毎日何回でも、多ければ多いほどよいといえるだろう。

 

 理論的には先ほど述べたようにやればやるほど、現状維持のゲシュタルトに代わって、未来のゴールを達成している状態を現実だと認識しやすくなる。このことが毎日(なるべく多く)唱えることが重要な理由だ。

 

 最後にアファメーションを書くことの重要性を考えたいと思う。書く

 

ということはその作業を通じて自分のアファメーションを見直すことにもつながることになると思うので、⑧の「記述の精度を上げる」ということが大きな利点であるといえる。

 

 また、書くという行為そのものが古来の、写経のような心を落ち着ける、瞑想のような効果があるようにも感じる。アファメーションを書くということは瞑想状態の中でゴールのイメージを徹底的につくりあげていくことに繋がるのではないだろうか。

 

 アファメーションを毎日書くことによりゴールのゲシュタルトが選択され、ゴールが達成される。アファメーションの機能を最大限に引き上げることができるのである。

 

 

ドリームキラー対処法

 

大切なことを伝えるのを忘れていた。

 

ドリームキラーの対処法を伝えとかねば。

 

ドリームキラーとはあなたの夢をあきらめさせようとする人たちのことだ。

 

どうせあなたには無理よ、などと言ったり
今までの実績を引き合いにしたり、とにかくあなたにあきらめるよう説得する人のこと。

 

どうだろう?よくいるでしょう。

 

まず、なぜドリームキラーはあなたにこんなことをいうのだろう。

 

それはドリームキラー自身があなたに羽ばたかれると居心地が悪いからだ。

 

ドリームキラー自身では親切心のつもりでいるが、中身は現状のコンフォートゾーンの中でガチガチになっているドリームキラー自身が他人に夢をかなえられるのが超嫌だから。

 

なぜ嫌なのか。

 

どうせ無理というブリーフシステムを持っている人が、その間近で無理ではないことを証明されるとブリーフシステムが揺らぐ。無理ではないのだろうかとそのドリームキラー自身が思ってしまう。すると自分も夢を叶えれると思わざるをえない。

 

とするとだ、

 

ドリームキラー自身がコンフォートゾーンの外に出ないといけなくなってしまう。

 

超怖いじゃん。

 

魚が陸にあがるというやつを自分が実践しないといけないのだから。

 

だから、コンフォートゾーンを死守したいわけだ。

 

その結果、夢を持つ人すなわち陸に上がろうとする魚たちを止めるという行動にでる。

 

ちなみにこれらは全て無意識に行われている。意識的には親切心であろう。あなたのためだからと。

 

危ないから止めておきな。
傷つくから止めておきな。
平凡が一番。
などなど数え上げればきりがないほどクリエイティブな言葉であなたを現状に縛り付けようとする。

 

ドリームキラーの言うことを受け入れるとゴールは達成できない。

 

さあ
重要なポイントだ。

 

いいだろうか、受け入れるのがダメなんだ。
聞くことがだめなんじゃない。

 

受け入れなければよい。

 

ドリームキラーは親や友達、教師、あなたのごくごく身近なところに多数存在している。

 

先ほども言ったように、その人たちは親切心であなたに接している。あなたのことを嫌いなわけじゃなく、大切に思っていると思うんだ。

 

だから、怒らないでほしい。

 

もし、ニッチもサッチもいかない状況ならば、コーチを持てばよい。コーチはあなたの夢を心から応援する職業だ。

 

いづれにしても、冷静に聞いて、

 

私のゴールは私だけのもの他人がなんと言おうが関係ない。

 

そう思ってほしい。

 

最後にドリームキラーへの対処法として、とっておきの方法を伝授しておく。

 

あなたのゴールはコーチ以外には言わないこと。
決してコーチ以外には言わない。

 

いたづらに人間関係を壊さないためにも心に刻んでおいてほしい。

あなたはもともとすごいのだ!

 

エフィカシーについて

 

エフィカシーとは自分の能力に対する自己評価のことである。

 

これについて考察しよう。

 

ポイントは自己評価であり他者評価でないということだ。

 

これをはき違えている人が多い。

 

例えば、ほめられるとエフィカシーがあがるというのはどうだろう?

 

明らかに他者の評価だ。

 

そうではなく、自己の評価なのだから、俺はすごいでよい。誰かの言っていることなんてどうでもいいのだ。

 

自分で自分をすごい奴だと思っている人、思えている人をエフィカシーが高いという。

 

しかも、根拠もなくてよい。

 

昔、こんな実績があるから俺はすごいんだ。ではこれからの新しい未来には使いものにならない。

 

だって、実績とは過去の実績であって、未来の実績ではない。コンフォートゾーンの外に出ていくのには使い物にならない。

 

とはいうもののだ

 

そんな風に思えないからやっかいなんだ。

 

魚が陸に上がるときに俺ならできると思えたらよいが、いやーでも僕えら呼吸なんですけど大丈夫でしょうか?

 

ひれしかないんですけど、移動できないとおもうんですけど・・・
などとなるよね。

 

俺なら陸でも生活できる!

 

とう魚が肺呼吸ができるように進化させ、足をはやさせたのだが。

 

やはり

 

いやー、でも苦しそうだしできそうにないしと思うかもしれない。このマインドをどうするかだ。

 

大人の場合はそれなりに知識と経験を蓄えてきているのだから、単に俺ならできると思えるようになってほしい。ほめられたらさすが俺褒められるのは当たり前。けなされたら、さすが俺、普通とは違うぜ

 

なんと言われようが自己の絶対的評価は変わらない。変わる時とは自分が,かーわろっと思った時だけ!

 

心掛けることがすごい重要だ!
それがゴールへの原動力なのだから。

 

子供の場合は自己の評価基準がまだできていないから、ほめてあげることが大切になる。

 

ただし、ほめる側、親や教師はこれができたからあなたはすごいね。でななく、あなたはもとからすごいね。だからこんなことも出来たのねがエフィカシーを培うのに適していると思う。

 

子供に俺はすごいんだと思わせることがエフィカシーを高める教育なのであって,これができたらすごいは、自己の外側に評価基準が存在することを暗に示している。

 

そんな風に育てられた子供はエフィカシーを高めれないので陸に上がるようなことを成せなくなってしまう。

 

もちろん今の大人もそうやって育てられたからこそ、コーチが必要になってくる。

 

100年後はコーチという職業はなくなってしまえばいい。その代わりにみんながみんなのコーチであればよいと思っている。

 

個人の絶対的評価基準は自分一人のものであり、他者が干渉すべきではない。個人は他人の言うことなど気にせず、俺はすごい!私はすごい!と思えばよい。

 

そして違う人と関係を持つときは100パーセント相手の評価基準を尊重した上で、あなたもすごいねと思えばよい。

 

もちろんこれら全て言葉にして発する必要はなく、こころの中で言えばよい。

 

高いエフィカシーがあなたをゴールに連れて行くのは間違いない。

 

みんなでエフィカシーを高めあっていけたら、それこそすごい世の中だ!

 

僕もすごい!
あなたもすごい!

 

コーチの存在とは

ペン立てを買った。

 

結構、気に入った。

 

机のまえにずっといてるのでずっと見られている気がする。

 

そういえば、コーチの存在も似ている。

 

ずっと頭の片隅にいて語りかけている。

 

ずっと後ろから、「君ならできる」と見守っている存在だ。

 

人は不思議とコーチという存在に見守られているとゴールが達成されてしまうものだ。

 

不思議だがそういうものなのだ。

 

あなたは人形の背景にあ臨場感を持って、見守ってくれる人をイメージできますか?

 

またはあなたは誰かにそのような存在としてイメージされていますか?

 

みんながコーチとなってみんなを暖かく見守る。そしてその人がいなくても感じることができて勇気が湧いてくる。

 

それがコーチングなのかなと思う。

 

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苫米地博士と記念撮影

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パフォーマンス・エンハンスメント・コーチングの講習会にて

 

苫米地博士師匠と記念撮影した。

 

ルータイスのコーチング理論を教えていただいた。

 

3年も前かな。

 

懐かしい。

 

今になってのアップだが
これからはどんどんとプロアスリートのパフォーマンス向上のためにお手伝いしていこうと思う。

 

期待してください。

マークシューベルトと記念撮影

マークと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パフォーマンス・エンハンスメント・コーチの講習会にて
北京五輪8個の金メダル マイケル・フェルプスのコーチ

 

マーク・シューベルトとの記念撮影

 

今は亡き伝説のコーチ ルータイスの弟子でもある。
マークと時間と空間を共有できたことは

 

僕にとっての財産だ。

 

後ろに苫米地博士もいる・・・

時間観

 

時間は過去から現在、現在から未来に流れていると思っている人が多い。

 

しかし、最先端の哲学的観点からみると未来から現在、現在から過去へと
時間が流れているとみるのが主流だ。

 

たとえば、過去に行きたかった大学に合格できなかったから、現在の会社でしぶしぶ働いている。と考えているとしよう。
過去の大学に合格できなかった出来事が、因、で
現在の会社でしぶしぶ働いている状況が、果、

 

このような因果関係を頭のなかで成立させている方が多い。

 

しかし、コーチングにおいてはこの考え方は改めなければならない。

 

時間の流れは未来から流れてきていると考えてほしい。

 

現在の会社でしぶしぶ働いて満足できていないことを過去の受験の失敗のせいにしている。
このように考えてほしい。

 

こうみてみると過去は単なる解釈でしかないことがわかると思う。

 

未来は我々の自由な意思によって決めてよい。
なりたい自分像を自由に掲げてよい。

 

未来から時間は流れているということは過去はどんどん遠く離れて行っている。都合の悪い過去などはどんどん忘れてしまおう。過去の自分と現在の自分との関係など全くないと思ってほしい。

 

ゴールを成し遂げている未来の自分の姿を思い浮かべてほしい。
そしてゴールを成し遂げた時にはこう解釈しているはずだ。

 

私はゴールを達成した。それも過去の受験の失敗が原動力になっているからかもしれないな~

 

未来の出来事により、過去の解釈はいかようにも変えることができる。

 

過去の失敗から解放されて堂々と未来のゴールをかかげよう。