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あなたは誰ですか?この質問に対して、誰もが何らかの答えを堂々と話すだろう。しかし、それは本当のあなたですか?
そんなテーマだ。
私たちが意識の中で私と思っているものは大抵がブリーフシステムと呼ばれるものか私以外のものだ。
私以外のものから説明すると、例えば、私は田中一郎の息子だ。とあなたがい言ったとしよう。田中一郎はあなたではない。田中一郎とあなたの関係性の話である。私は何々小学校出身、仕事は○○で、私はどこどこに住んでいる。これらもあなたとの関係性を表現しているに過ぎない。体重何キロで、身長何センチという情報ですら、あなたとあなたの体の関係を表現しているだけなのである。いずれもあなたではない。
次にブリーフシステム。私はビールが好きです。私は阪神タイガースが勝つとうれしい熱血の阪神ファンです。これらも私ではない。ある情報が入力されるとある答えが出力されるというあなたのブリーフシステムである。だいたいいつも決まって同じような答えをだす。あることをされると腹がたつ。ということも同様だ。
本当の私はこれらではない。
このブリーフシステムや私に対しての関係性を観ている視点がある。そしてこの視点こそが私なのだ。
今まで私だと思っていたものは私ではなく、私との関係性であり、ブリーフシステムであることがわかれば、自由に関係性を変えたり、ブリーフシステムを壊したりできるようになる。
あなたが恐怖を感じたとしよう。それはある情報がブリーフシステムに入ってきた結果、恐怖という反応がおこったのである。その恐怖を観ているあなたは恐怖を感じていない。
苦しみを感じたとしよう。これも同じくブリーフシステムの結果、苦しいという答えがでて苦しいと感じているだけであり、本当のあなたはその苦しみを観ているだけで、苦しくはない。
恐怖と感じたり、苦しんだりしているのは本当のあなたではなくて、それを観ている視点が本当のあなたである。
そしてその視点は、点なので、取り出して、見たり、聞いたりすることができるようなものではなく、空なる存在なのだ。
本当の自分とはブリーフシステムを上から観る単なる視点である。
意識をその視点に持ってくることが極めて重要だ。そしてその視点から情報の関係性を観る。ブリーフシステムを観る。感情の起伏を観る。呼吸を観る。そして自由自在に、関係性を変えてみる。ブリーフシステムを変えてみる。感情を変えてみる。それができるようになれば平和なこころを手にいれたことになるのだ。
今日は言葉についてのお話をしようと思う。
我々が使う言葉は過去に経験したことが積み上げられて作られたブリーフシステム(信念体系)に支配されている。
そんな風に考えて言葉を使っている人はいないだろうが、実際あなたは言葉によりつくられており、その言葉に支配されているのだ。
あなたが自分に投げかける言葉
他人に投げかける言葉
今日一日でも意識してみてほしい。
そして言葉があなたをつくっているという感覚を身につけていただきたい。
例えば、今、前屈をしてみよう。どこまで曲がるだろうか?そして次に「私はふにゃふにゃなゴムだ」とこころのなかでもよいのでイメージしながらもう一度前屈をしてみてください。
どうだろうか?多くの人はこれだけで前屈がしやすくなる。それは我々がいかに言葉に影響を受けているかを如実に表している。
それと同じように、「私は何をやってうまくできない人間だ」と普段から心の中で呟いている人と、「私は何をやってもすんなり上手にできてしまう人間だ」とつぶやいている人も大きな差を生む。
私は何をやってもうまくできないと自分に言い聞かせている人は本当に何をやってもうまくできない。逆に私は何をやってもすんなり上手にできてしまうと言い聞かせていると本当に簡単にできてしまう。
だから、言葉というのは一種の自己予言でもある。多くの人は言葉は過去の経験の事実に基づいた自己イメージと思っているかもしれないが、その言葉を使うことによって自己が作り上げられているのである。
是非ともこのパラダイムを変えてほしい。
そして今日から、今から、この一瞬から一切ネガティブな言葉を使わないように心がけてみよう。
それだけでとんでもなく世界が変わることをお約束する。
そして、自分だけではなく、他人に対しても批判や評論の目を排除して、徹底的に励ましや勇気を与える言葉を使ってみよう。
成功したときには
さすが私!素晴らしい私!私らしい!
失敗したときには
私らしくないな。
自分以外の人が成功したときには
さすがあなたね!素晴らしい!あなたらしい!
自分以外の人が失敗したときには
あなたらしくないね。
と言おう
言葉はあなたが思っているよりも、はるかに大きなパワーを秘めている。なぜ言葉にパワーが秘められているのかを古来から多くの哲学者や宗教者などが研究してきている。しかしそのなぜを知らなくても、言葉の使い方を少し工夫するだけで、あなたの人生は一変する。
このブログがあなたの言葉を意識にあげることにつながり、良い言葉で満たされるようになれば幸いだ。
子供に対しての言葉についてのセミナーが2月27日(土)にあります。
空きがまだあるようなのでよろしければご参加ください。
今回はなぜ、抽象度の高いゴールがよいのかを説明してみようと思う。
コーチング理論の根っこにスコトーマという概念があるのはご存じだと思う。我々の認識はごくごく限られたものしか認識にあがらない。それは脳の機能の性質である。ロックオンした情報だけが認識にあがり、ロックアウトされた情報はどれだけ、目の前にあったとしても見えなくなってしまう。逆にいえば、脳は見えなくさせて効率的に働いているともいえる。
そして抽象度という概念がある。これは情報量の大小で並べられた階層のことだ。抽象度が高いとは情報量が少ない状態のことであり、情報空間と呼んでいる。その中で最高位に位置するのが空だ。抽象度が低いとは情報量が多い状態のことであり、最も低いところに物理空間がある。定義としては最低位に位置するのを、矛盾としている。
抽象度の高い情報空間が情報量が少ないというところが今回のポイントだ。中には抽象度が高いとは多くの情報を含んでいるから情報量が多いと勘違いしてしまう人がいるが、潜在的に含んでいる情報量は多くなっているのだが、その地点の情報量が少ないということなのだ。
たとえば、犬という情報量とその上の動物という情報量を比べてみて考えてみてほしい。犬の方が具体的な情報がたくさんあることに気づくと思う。
ここで言い換えてみる。
高い抽象度の情報とは情報量は少ないにも関わらず、潜在的に含んでいる情報量が多い。犬や猫よりも動物の方が情報量が少ないのに動物には犬と猫の情報が包摂されていてその情報を含んでいるということである。
我々の認識はRASによりスコトーマが生み出されてしまうことから逃れることはできない。しかし、高い抽象度で認識したものはその下位にあるものも認識しているということになる。
だから高い抽象度のゴールを設定して近づいていくことにより、この宇宙の存在を多く認識することができるようになるのだ。
スコトーマの理論により、ロックオンしたものだけが認識にあがり、ロックアウトされたものが認識にあがらない。おなかがすいて、ハンバーグにロックオンするとハンバーグ以外がロックアウトされて見えなくなる。それに反して、全てを包摂している空をロックオンしたらどうなるか?それが悟りだ。この宇宙のすべてが認識にあがったということになる。
この場合でいうとお腹がすいて、ハンバーグが食べたいというのを仏教用語で煩悩と呼んでいる。
抽象度の最も低いゴールが煩悩
抽象度の最も高いゴールが空(悟り)
ゴール設定はWANT TOで自由にできる。とはいうものの煩悩が暴走したゴールを設定したところでスコトーマだらけの認識状態のままである。
経済的な成功や人間関係の成功、知性やIQ、我々の欲しいものは今よりも高い抽象度にあることは間違いない。抽象度があがると欲しいものが手にはいったり、問題が解決されたりする。だから抽象度を上げることに意味がある。
何も空(悟り)まで行かなくてもよい。しかし今よりも一つ上、一つ上と抽象度の階層を上がっていくことが人類のゴールなんだと思う。
そして、上に上がるためには壁がある。その壁をコーチング用語でコンフォートゾーンと呼ぶ。
我々はコンフォートゾーンという壁を乗り越えながら、一つ上、一つ上と抽象度の階層を上っていくのだ。
気功とアファメーションと言えば、全然接点がないように思うかもしれない。
ある点でつながっている。そしてゴール達成を願う人にとってのツールと考えれば、両者はそのツールと言ってもよいだろう。
人それぞれにゴールは違うわけで、例えば、病気を治したい人と、お金持ちになって成功したいと思っている人。ゴール達成を願うという点では同じだが、方や、気功というツールでゴール達成を成就しようと考え、方や、自己啓発のカテゴリーに属すアファメーションでゴールを達成しようと考える。こう表現すると確かに違うツールではあるが、ゴール達成ということで両者をつなげることには違和感がないのではないだろうか。
そしたら、更に類似点を探ってみよう。
実は気功も、アファメーションもその効果が期待できるか否かはある方法論がうまく機能しているかどうかにかかっている。
それが、変性意識と言われるものだ。
気功もアファメーションも事前に必ず、変性意識状態をつくりだす。気功でいえば、まず深呼吸からはじめることだったり、アファメーションでいえば、朝起きたときや就寝前に行うことを推奨していたりするのは、変性意識状態を作り出さないとその効果が最大限に発揮されないからである。
逆にいうと、深い変性意識を生成することができたうえで、気功やアファメーションを行うと通常、難しいと思えるようなゴールも達成できてしまうというカラクリである。そのカラクリに変性意識は大きく関わっている。
ところで変性意識とは何か?
変性意識とは、認知科学以降の定義では、物理的現実世界(物理空間)以外、つまり仮想世界(情報空間)にリアリティがある状態をいう。ということは我々の意識はほとんどが変性意識ということになる。(ここではこれ以上詳しくは述べない)
ほとんどの意識が変性意識ではあるけれども、深呼吸で作り出される意識状態や起床後や就寝前の意識状態はある特定の意識状態であり、深い変性意識状態といってもいいかもしれない。この意識状態を作り出したうえで、気功やアファメーションをすると効果がある。
気功に限って言えば、気功自身がその深い変性意識を生成することにもなっている。
我々の意識はゴール達成を叶える上で非常に大きな役割をしている。この意識をコントロールすることができれば、ゴールは簡単に叶ってしまうのだ。
気功とアファメーションというテーマで話を進めてきたが、気功のカテゴリーには瞑想や、呼吸法や、ヨーガ、などの宗教的な修行などがある。自己啓発のアファメーションのカテゴリーにもあらゆる成功法則のような方法論がある。これらを結びつけるものが意識状態であることを覚えておくと一つ上の抽象度でこれらのものが読み解けるのではないだろうか。
いづれにせよ、ゴール達成の方法論がうまく機能するかは意識状態に深くかかわっている。
コーチングにおいても、アファメーションを教えているが、アファメーションを行う前にはまず、一人になれる空間をつくり、深呼吸を何度か繰り返し、通常以上のリラックス状態を作り出してから行ってもらいたい。逆腹式呼吸を知っている方はそれを何回か行うのでもよい。それで深い変性意識が作られる。
これにより、あなたのゴールが圧倒的に近づくことになるだろう。
「人は考えた通りの人間になる」この言葉はルータイスに教わった言葉だ。
丁度、私自身、色々な選択肢の中からどれにしようか、迷っていた時にこの言葉は気づきをあたえてくれた。
私はどのような人間になりたいのか。何が欲しいのか。どれが未来の自分にとってふさわしいと思うのか。このような思考をきちんとしないまま、なんとなくで選択をしようとしていた。
そこで私も考えを改め、私がなりたい私から、一歩も引かないという決意をしてから選択をすることに決めた。
人は考えた通りの人間になる。
なりたい私が明確であれば、それは現実になる。そしてその方法論がコーチングなわけだが、その前になりたい私を、妥協してはいけない。
これぐらいならなれるかな。とゴールを低く設定せずに、本当に欲しいもの、なりたいものを描くことはとても大事なことです。
妥協したら妥協した通りの人間になる。
高いゴールを目指し、それが私らしいと考えている人にはその通りの人間になっていくということだ。
これからは妥協をやめて、本当になりたいことだけを考えるようにしてみてほしい。
ゴールが何かわかりません。という理由について。
ゴールを持つとは、たいそうなことなのだろうか。例えば、もしゴールを何でも一つだけ達成させてくれる神様がいたとして、そうドラゴンボールの神龍のような存在でもいい、いたと仮定しよう。その神様があなたのために何でもゴールを達成させてあげるといったら、「ゴールが何かわからないから結構です」と言うだろうか。
私は言わないと思う。いう人の気が知れない。それぐらい誰にでもゴールはあるに違いない。
ただ、ゴールは何ですかというシチュエーションやシーンによって、ゴールは本来のゴールからだんだんとかけ離れていく時があるのかもしれない。
どういうことかというと、小学生に学校で夢は何か?考えさせられ、それを授業中に発表させられたとしよう。もちろん夢を正直に言える子もいるだろうが、言えない子も理解できる。それはそのクラスの中には社会的な評価が必ずあってその夢を評価し、最悪な場合は否定するということまで普通に行われるからだ。すると本来の夢が社会的な評価の高い夢に変化してしまう。
それは夢とは言わない。社会の模範のカタチをその子が見つけ出し、表現しているだけである。
だから、コーチングにおいてもゴールはコーチにしか言わない。という鉄則がある。親でもあっても言ってはダメというぐらい、徹底して秘密にすることをすすめている。
このような体験がゴールがわかりませんという言葉に繋がっているかもしれない。しかし上記のように神様や神龍の話をすると急に色めきだって、ちょっと待ってと必死になって数あるゴールの中から最高のゴールを見つけ出そうとする。なんだたくさんあるんじゃん!
個人の心からこみ上げてくる、叶えば楽しい、うれしいゴールと社会的評価の高い立派なゴールとが、どこかですり替わってしまっている場合があるのかもしれないと感じる。
このような場合はうれしい、楽しい、誇らしいといった感情を呼び起こしながらゴールを探すのがよい。
そして次だ。
神様のようなファンタジーな話だとゴールが思い浮かんでも、現実にそのゴールを持って生きていこうとしたときに、やっぱり無理かなとか、今のままでも結構幸せだしなとか、現状を肯定するような気持ちが生まれてくる。これが現状に強烈に働いているホメオスタシスという現象である。現状に対して求心力のような力が働き、人が変わることを阻害する力である。
ゴールがわかりません。ゴールが持てませんというのはこのホメオスタシスの力が働いている場合が多い。
無意識が変化を拒絶し、現状を肯定して、安定状態を保とうとする働きである。
極端な言い方をするとゴールを持つとゴールが達成されてしまう。ゴールが達成されるとは変化するということだから、ホメオスタシスはゴールを持つというところまで影響を与え、ゴールを持たないように働きかける。
このことへの対処はわかりやすい。ゴールを持つことだ。
ゴールを持つことにホメオスタシスが働くというのは、恐らく、ゴールを持つとそのゴールが達成されると無意識が感じているのだと思う。こんな人はゴールさえ明確にすれば案外すんなり、達成されてしまうかもしれない。
ゴールはゴールを達成するということ自体も素敵なことだが、それだけではなく、自分の人生を自分の意志で生きていくために必要なツールともいえる。
我々の深い意味での目的とは自由意志の獲得なんだと私は思っている。
誰かに設定されたゴールに従ってズルズルと生きていくよりも自らが設定した、自由な選択で設定したゴールに向かって生きていく方がよくないだろうか。
そのためにも、とりあえずは今心からこうなったらいいなと思えるゴールを見つけ出してほしい。
人が変わるとはどういうことだろうか。
まず、人格や性格などと言われるものは、過去の情動記憶が基となっているブリーフシステムである。このことを理解してほしい。
あなたが私の考え方や価値観と思っているものは私ではなく、私のブリーフシステムだということだ。人が変わるとはこのブリーフシステムが変わらなけれならない。
私は粕汁が嫌いだ。それは子供の頃に風をひいて、嘔吐を繰り返していた時に粕汁を飲んでまた嘔吐した体験があるからだ。それ以来、粕汁がどうしても好きになれない。たまに高級和食料理店でのコースの中に粕汁が入っていて仕方なく飲んだりするとおいしいと思ったりする。それでもやはり私は粕汁は嫌いなのだ。
私は粕汁が嫌いだから飲まない。というブリーフシステムなのである。これと同じように、特に子供の頃の体験が多いが、数えきれないほどの体験の積み重ねがそれぞれのブリーフシステムを作り出している。
ここで重要なポイントはこれらは過去の体験であるということ。
人が変わるとは未来に対して、過去の延長線上の時間軸の未来の自分から、自らがこうなりたいという時間軸の未来を新たに作り出して、そちら側にシフトするということである。
それは新しいブリーフシステムを作るという作業でもある。
しかし、過去の時間軸上の未来の私にはすごい力でそのままでいようとする力が働いている。過去のブリーフシステムを維持しようとする力である。
だから過去の自分は捨て去らなければならない。過去のことを過去のことだから関係ないやと思える人は比較的容易に新しい自分になることができる。
今日のブログはこれから、あなたが過去にこだわらない様に生きていくために書いている。
今日から過去にこだわるのはやめましょう。きっと爽快な気持ちで生きていくことができると思いますよ。
ちなみに時間はどんどん流れている。
今はもう過去。だから過去にこだわらないとは、今思っていることも一秒後に気が変わってもOK!ということだ。
どんどん変わろう。過去のブリーフは過去のもの、過去の価値観は過去のもの。変わろうとする人にとって必要なし!!
その代わりに新しいこうなればいいなと思う未来、こうあればよいなと思う未来をどんどん創り出そう。
自然と人工といえば、自然の方が聞こえはいいかもしれない。しかし、人の心は人工的に変えるべきだ。自然のままだと過去の延長の未来しかやってこない。人工的というより意志的の方がよいかな。
とにかく、あなたの人としての意思で未来を創っていくのだ。
このことを変わるという。
小耳にはさんだ話だが、タイトルのように子供(小学生)同士の会話の中に、親の職業やどんな車に乗っているのかが話に上がるようだ。私にその話をしてくれた人は、げんなりして話していた。
もちろん、その背景には親が周りにひとに対して、職業や年収でもって人を判断しているのだと思う。その価値観が子供にも影響を与えてのことだと思う。
最近のテレビでも年収やお金持ちの住宅をネタにしているものもあるので、子供がそんなことを言い出すのもうなづける。
とにかく、お金で人を判断するような社会ができてきているのは事実だ。そしてどれだけお金を持っているかで人に順位をつけるような社会ができてきている。
最低だ。
その話はひとまずおいておいて、気功の話をしてみたい。
気功の教えの中に「元神」と「識神」という考え方がある。「元神」とは先天的な意識のことで、人間の生まれつきの知恵のことである。自然治癒力や自然保護力などがそれにあたる。疲れたら眠くなったり、血圧のコントロールをしたり、病気やけがをしても自然に治ったりと人間がもともと持っている無意識の領域の力のことを指す。
それに対して「識神」とは生まれた後に勉強や経験で得られた知識の総括のことで、理性的な判断であったり、意識的な選択のことを指す。
現代的な表現でいえば「右脳」「左脳」とか「意識」「無意識」、「顕在意識」「潜在意識」といったところだろうか。
現代社会は特に理性の判断を大事にするところがあるように思う。それにより「識神」ばかりが活性化して、「元神」の働きが弱くなっているのではないかと思っていた。
その矢先に冒頭の子供の話を聞いたわけだ。
お金が欲しいと思う気持ちが悪いとは全然思わないが、お金のあるなしで人を格付けする社会はろくなもんじゃないと思う。
その子供が格付けしているかどうかまではわからないが、この出来事から社会全体を見回したときに、明らかに人が作り出した社会がお金のあるなしで格付けをする要素がある。
人間が頭を働かせて作ってきた社会は文明の発達を遂げたが、お金の欲望からは依然として離れることができていない。ましてやお金の欲望を大きくして成功させた人の方が礼賛されるような社会が出来上がっている。
「識神」が幅をきかせた結果なのかと私の中ではつながるのだがどうだろうか。
「元神」にはとてつもないパワーがある。そのパワーとは病気を治したり、気力、精力がみなぎる体になったり、夢を叶えたりと計り知れないパワーがあるのだ。しかし、「識神」が意識の司令塔の座を明け渡さないので、人間は「元神」のパワーは発揮されない。
気功は「元神」の力を発揮するための方法論だといえる。
気功の詳しい話はまたこのブログでもしていこうと思う。
とにかく、社会もそうだが、まずは個人がお金もよいが、それだけでなく心の安定、心の平和、心の充実を図る必要性があるのではないか。
そのように感じたのだが、あなたはどうだろう?