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苫米地式コーチング認定コーチ 山本敦志です。
今日、知り合いと話している中で老害の話題になった。
老害を考えてみようと思う。
アメリカの研究データの中にゴールを失った人は平均して18か月後に死ぬというのがあるのをご存じだろうか。
例えば、何十年も働いてきた会社に定年退職を言い渡された場合などが典型的な例かもしれない。通常ゴールとは夢のようなものを指すのだが、この場合は現状維持というゴールを持ちながら生きてきたと捉える。長年現状維持をし続けて突然、定年を迎える。そしてそこから、新しいゴールを再設定できた人はそのあとも生き続けるのだろうが、再設定できなかった人がなんと18か月しか生きられないというのだから驚きである。
簡単に言うと生きる気力を失った場合、生命は本当に死を迎えるのだ。
誰でも、死にたくない。
年老いても無意識は死にたくないものだから、現状の居場所を維持しようとするのは極めて自然なことだと私は思っている。
老害という言葉を使うのは、そんな環境下において若者の可能性が発揮できないと思っているどちらかというと若者の年齢に近い人ではないだろうか。
そんな若者は今すぐその場から立ち去って、自分のやりたいことをやれる場を見つけてほしいと思う。そんな簡単にはいかないというだろうか。そうかもしれない。しかし、この問題は相反する二つの矛盾する価値観をどう受け止めるかではないのだろうか。
一方に君が間違っているから正せとお互いが思っていても拉致があかない。
重要なことはゴールである。ゴールに合致すること以外はスコトーマに隠れてみえなくしてしまえばよい。重要なことは自分のゴールがなんなのかである。
仮にゴールに向かう上で老害と思われる人が必要なのであればそれは害ではなく仲間である。必要なことはルールを決めたり、話し合うことかもしれない。
ゴールに向かう上で必要なければ、先ほど述べたようにスコトーマにしよう。
66億の人間がいれば66億の価値観が存在する。
となりの人と価値観が合わなくて腹のたつことがあるかもしれないが、相手には相手の価値観があり生きている。そう思って尊重することはとても大事なことだ。
かと言って、相手の価値観に合わせろと言っているわけではない。自分の価値観こそ一番尊重するべきものだ。自分のゴールが一番大切だが、隣の人も同じことを思っているということを知ることが大事なのだと思う。
年老いても、若くても、皆一生懸命生きている。それは間違いのない事実である。