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戦争と差別のない世界とは⑦

私たちがお金を稼いでいる場をお金ピラミッド空間と呼んできた。今回は違う表現で同じ場を見ていく。

お金、地位、権力を目指す人々が集まり、構成する空間をお金ピラミッド空間と呼んだが、これは資本主義社会のことだ。

資本主義社会は競争社会。人々が競争をすることで社会が発展し、よくなると信じる(?)社会。

公共工事の入札にはよく携わっているが、指名競争入札や一般競争入札といった名目で通知が来る。

指名競争入札はあらかじめ発注者が選んだ業者の中で行われる入札であり、一般競争入札とは発注者が定めた資格を有していれば、参加することが出来る入札である。

いずれにしても、参加者が工事金額を入札し、一番の最低金額、もしくは最低制限価格を下回らない範囲での最低金額を入札した業者が受注できる仕組みであり、競争することが求められている。

競争することが最適であり、競争することこそが公平であると信じる仕組みのようだが、蓋をあけてみると全く公平にはならない。

競争すると勝者と敗者に分かれる。勝者は受注を得ると金銭的なメリットを得る。何回かこれを繰り返していくと金銭的メリットは設備投資や福利厚生の充実など会社の基盤を強くすることに使われる。すると勝者はそのメリットにより強者となっていき強者と弱者の溝はどんどんと広がっていく。

そこで公平を期すために業者同士で順番に受注しようとしてもそれを談合と呼び法的に禁止されている。

つまりは強者はますます強者となり、弱者はますます弱者となるのが資本主義という名の競争社会である。

この競争社会を受け入れて、その競争を勝ち残っていくことが人生であると思っている人が多いがそれで本当に個人個人は幸せになれるだろうか。

スポーツなどはそこに順位がつくので最たる例だ。先日のWBCでも日本が優勝し選手とともに誇らしい気持ちを共有した人が多いとは思うが優勝チーム以外全てのチームが敗者であり、優勝チーム以外の全ての選手が悔しい思いをしている。構造的にトップだけが喜び、トップ以外は悔しがる仕組みなのに世界中が熱狂し、とんでもない低い確率のトップになるために子供から大人までしのぎを削る。

そしてこのピラミッドを少しでも上にあがることこそが人生の目標であると信じ生きている。

私も子供のころからサッカーをしてきたので競争意識はマインドの深くに根付いていることを感じる。ちなみに私はサッカーが大好きで競争というより、楽しんでやっていた方だと思うがそれでも、レギュラーに選ばれたらうれしかったし、選抜に選ばれたらうれしかったし、チームが勝ち進んでいくとうれしかった。

しかし、コーチングを学んでからは資本主義という競争社会に疑問を持つようになった。

事実サッカーも子供のころと40歳を超えてからが一番楽しかったと思う。

楽しむという観点からは大人になるにつれ競争原理に従うようになり、サッカーが楽しいから勝つことが楽しいに変わってくる。

勝ち続けることができる選手はプロに行き、お金を稼ぐことが出来るようになる。

皆それにあこがれるようになり、競争に勝ち残ることこそが自分の夢であると思うようになる。

競争は人々を幸せにするのか。

ピラミッドのように頂点にいる人だけが幸せになり。それ以外は全て敗者の世界。

それは頂点になればよいが、全体としては幸せな社会とは呼べないと苫米地博士に教えてもらった。

今ではそう思う。

そして今では100人が99人の幸せを願う世界の方がよいと思う。

そんな世界に変えていきたい。