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エフィカシーについて
エフィカシーとは自分の能力に対する自己評価のことである。
これについて考察しよう。
ポイントは自己評価であり他者評価でないということだ。
これをはき違えている人が多い。
例えば、ほめられるとエフィカシーがあがるというのはどうだろう?
明らかに他者の評価だ。
そうではなく、自己の評価なのだから、俺はすごいでよい。誰かの言っていることなんてどうでもいいのだ。
自分で自分をすごい奴だと思っている人、思えている人をエフィカシーが高いという。
しかも、根拠もなくてよい。
昔、こんな実績があるから、俺はすごいんだ。ではこれからの新しい未来には使いものにならない。
だって、実績とは過去の実績であって、未来の実績ではない。コンフォートゾーンの外に出ていくのには使い物にならない。
とはいうもののだ
そんな風に思えないからやっかいなんだ。
魚が陸に上がるときに俺ならできると思えたらよいが、いやーでも僕えら呼吸なんですけど大丈夫でしょうか?
ひれしかないんですけど、移動できないとおもうんですけど・・・
などとなるよね。
俺なら陸でも生活できる!
とう魚が肺呼吸ができるように進化させ、足をはやさせたのだが。
やはり
いやー、でも苦しそうだし、できそうにないしと思うかもしれない。このマインドをどうするかだ。
大人の場合はそれなりに知識と経験を蓄えてきているのだから、単に俺ならできると思えるようになってほしい。ほめられたらさすが俺、褒められるのは当たり前。けなされたら、さすが俺、普通とは違うぜ。
なんと言われようが自己の絶対的評価は変わらない。変わる時とは自分が,かーわろっと思った時だけ!
心掛けることがすごい重要だ!
それがゴールへの原動力なのだから。
子供の場合は自己の評価基準がまだできていないから、ほめてあげることが大切になる。
ただし、ほめる側、親や教師はこれができたからあなたはすごいね。でななく、あなたはもとからすごいね。だからこんなことも出来たのねがエフィカシーを培うのに適していると思う。
子供に俺はすごいんだと思わせることがエフィカシーを高める教育なのであって,これができたらすごいは、自己の外側に評価基準が存在することを暗に示している。
そんな風に育てられた子供はエフィカシーを高めれないので陸に上がるようなことを成せなくなってしまう。
もちろん今の大人もそうやって育てられたからこそ、コーチが必要になってくる。
100年後はコーチという職業はなくなってしまえばいい。その代わりにみんながみんなのコーチであればよいと思っている。
個人の絶対的評価基準は自分一人のものであり、他者が干渉すべきではない。個人は他人の言うことなど気にせず、俺はすごい!私はすごい!と思えばよい。
そして違う人と関係を持つときは100パーセント相手の評価基準を尊重した上で、あなたもすごいねと思えばよい。
もちろんこれら全て言葉にして発する必要はなく、こころの中で言えばよい。
高いエフィカシーがあなたをゴールに連れて行くのは間違いない。
みんなでエフィカシーを高めあっていけたら、それこそすごい世の中だ!
僕もすごい!
あなたもすごい!