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ゴールを持てないのはホメオスタシスのせい。

 

ゴールが何かわかりません。という理由について。

 

ゴールを持つとは、たいそうなことなのだろうか。例えば、もしゴールを何でも一つだけ達成させてくれる神様がいたとして、そうドラゴンボールの神龍のような存在でもいい、いたと仮定しよう。その神様があなたのために何でもゴールを達成させてあげるといったら、「ゴールが何かわからないから結構です」と言うだろうか。

 

私は言わないと思う。いう人の気が知れない。それぐらい誰にでもゴールはあるに違いない。

 

ただ、ゴールは何ですかというシチュエーションやシーンによって、ゴールは本来のゴールからだんだんとかけ離れていく時があるのかもしれない。

 

どういうことかというと、小学生に学校で夢は何か?考えさせられ、それを授業中に発表させられたとしよう。もちろん夢を正直に言える子もいるだろうが、言えない子も理解できる。それはそのクラスの中には社会的な評価が必ずあってその夢を評価し、最悪な場合は否定するということまで普通に行われるからだ。すると本来の夢が社会的な評価の高い夢に変化してしまう。

 

それは夢とは言わない。社会の模範のカタチをその子が見つけ出し、表現しているだけである。

 

だから、コーチングにおいてもゴールはコーチにしか言わない。という鉄則がある。親でもあっても言ってはダメというぐらい、徹底して秘密にすることをすすめている。

 

このような体験がゴールがわかりませんという言葉に繋がっているかもしれない。しかし上記のように神様や神龍の話をすると急に色めきだって、ちょっと待ってと必死になって数あるゴールの中から最高のゴールを見つけ出そうとする。なんだたくさんあるんじゃん!

 

個人の心からこみ上げてくる、叶えば楽しい、うれしいゴールと社会的評価の高い立派なゴールとが、どこかですり替わってしまっている場合があるのかもしれないと感じる。

 

このような場合はうれしい、楽しい、誇らしいといった感情を呼び起こしながらゴールを探すのがよい。

 

そして次だ。

 

神様のようなファンタジーな話だとゴールが思い浮かんでも、現実にそのゴールを持って生きていこうとしたときに、やっぱり無理かなとか、今のままでも結構幸せだしなとか、現状を肯定するような気持ちが生まれてくる。これが現状に強烈に働いているホメオスタシスという現象である。現状に対して求心力のような力が働き、人が変わることを阻害する力である。

 

ゴールがわかりません。ゴールが持てませんというのはこのホメオスタシスの力が働いている場合が多い。

 

無意識が変化を拒絶し、現状を肯定して、安定状態を保とうとする働きである。

 

極端な言い方をするとゴールを持つとゴールが達成されてしまう。ゴールが達成されるとは変化するということだから、ホメオスタシスはゴールを持つというところまで影響を与え、ゴールを持たないように働きかける。

 

このことへの対処はわかりやすい。ゴールを持つことだ。

 

ゴールを持つことにホメオスタシスが働くというのは、恐らく、ゴールを持つとそのゴールが達成されると無意識が感じているのだと思う。こんな人はゴールさえ明確にすれば案外すんなり、達成されてしまうかもしれない。

 

ゴールはゴールを達成するということ自体も素敵なことだが、それだけではなく、自分の人生を自分の意志で生きていくために必要なツールともいえる。

 

我々の深い意味での目的とは自由意志の獲得なんだと私は思っている。

 

誰かに設定されたゴールに従ってズルズルと生きていくよりも自らが設定した、自由な選択で設定したゴールに向かって生きていく方がよくないだろうか。

 

そのためにも、とりあえずは今心からこうなったらいいなと思えるゴールを見つけ出してほしい。

 

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