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小耳にはさんだ話だが、タイトルのように子供(小学生)同士の会話の中に、親の職業やどんな車に乗っているのかが話に上がるようだ。私にその話をしてくれた人は、げんなりして話していた。
もちろん、その背景には親が周りにひとに対して、職業や年収でもって人を判断しているのだと思う。その価値観が子供にも影響を与えてのことだと思う。
最近のテレビでも年収やお金持ちの住宅をネタにしているものもあるので、子供がそんなことを言い出すのもうなづける。
とにかく、お金で人を判断するような社会ができてきているのは事実だ。そしてどれだけお金を持っているかで人に順位をつけるような社会ができてきている。
最低だ。
その話はひとまずおいておいて、気功の話をしてみたい。
気功の教えの中に「元神」と「識神」という考え方がある。「元神」とは先天的な意識のことで、人間の生まれつきの知恵のことである。自然治癒力や自然保護力などがそれにあたる。疲れたら眠くなったり、血圧のコントロールをしたり、病気やけがをしても自然に治ったりと人間がもともと持っている無意識の領域の力のことを指す。
それに対して「識神」とは生まれた後に勉強や経験で得られた知識の総括のことで、理性的な判断であったり、意識的な選択のことを指す。
現代的な表現でいえば「右脳」「左脳」とか「意識」「無意識」、「顕在意識」「潜在意識」といったところだろうか。
現代社会は特に理性の判断を大事にするところがあるように思う。それにより「識神」ばかりが活性化して、「元神」の働きが弱くなっているのではないかと思っていた。
その矢先に冒頭の子供の話を聞いたわけだ。
お金が欲しいと思う気持ちが悪いとは全然思わないが、お金のあるなしで人を格付けする社会はろくなもんじゃないと思う。
その子供が格付けしているかどうかまではわからないが、この出来事から社会全体を見回したときに、明らかに人が作り出した社会がお金のあるなしで格付けをする要素がある。
人間が頭を働かせて作ってきた社会は文明の発達を遂げたが、お金の欲望からは依然として離れることができていない。ましてやお金の欲望を大きくして成功させた人の方が礼賛されるような社会が出来上がっている。
「識神」が幅をきかせた結果なのかと私の中ではつながるのだがどうだろうか。
「元神」にはとてつもないパワーがある。そのパワーとは病気を治したり、気力、精力がみなぎる体になったり、夢を叶えたりと計り知れないパワーがあるのだ。しかし、「識神」が意識の司令塔の座を明け渡さないので、人間は「元神」のパワーは発揮されない。
気功は「元神」の力を発揮するための方法論だといえる。
気功の詳しい話はまたこのブログでもしていこうと思う。
とにかく、社会もそうだが、まずは個人がお金もよいが、それだけでなく心の安定、心の平和、心の充実を図る必要性があるのではないか。
そのように感じたのだが、あなたはどうだろう?