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苫米地理論 自我の形式的定義

 

苫米地理論における自我の定義

 

自我とは宇宙の中から自分を定義する部分関数である。

 

宇宙に自我という関数を入力すれば私が出力されるということです。

 

これと同じ表現をして例えるなら自然数における偶数という概念があります。

自然数に偶数という関数を入力すれば(2,4,6,8,10・・・)が出力されるのと同じです。

 

では、自我という部分関数の中身とはなんなのか?

 

それは私にとっての重要性で並べられた情報のことです。

 

私は兵庫県に住んでいて、親はだれだれで、兄弟は何人で、好きな食べ物は何で、どこどこの学校出身でなどと、私を定義する情報のネットワークを自分にとって重要な順番に並べ替えます。

 

そして例えば、好きな食べ物がプリンだったとしたら、プリンという情報のネットワークもまた多数存在し、そのネットワークは無限に広がっていきます。

 

その無限のネットワークの中で、自分にとって重要な順番に並べられた情報の中心点が自我ということになるのです。

 

自我の説明を試みた時に、自分にとって重要な情報をあげることはできますが、自我自体の説明をすることができるでしょうか。これが自我が点と同じようなものであるといわれるゆえんです。

 

ユークリッド幾何学の定義における、円に対しての中心点とは面積のないものです。ですから、これ!といた存在をとりだすことができません。

 

また同じく、線分の端にしても存在していることは間違いないのですが、線分の定義は幅がないのですから、これ!とその存在をとりだすことはできないのです。

 

ですから、同じように自我もとりだすことのできるようなこれ!といったものがなくただ自我という中心点に向かって重要性の順でならんだ情報の集まりであるといえるわけです。

 

自我